パブリックコメント・カレンダー091030

 福岡県の黎明は旧石器時代までさかのぼり、県内にある多くの遺跡からは、石器や土器をはじめとした実に多くの遺物が出土している。
 弥生時代福岡県に所在していた「伊都国」・「奴国」は、わが国で最初に中国の史書に登場し、共に交流の拠点としての役割を果たしていた。その後の古墳時代のものでは、横穴式石室や装飾古墳など大陸の影響を受けた特徴的な事例が見られる。
 古代に入ると、九州一円の政治、軍事及び海外との外交を司る官府としての大宰府が一都会を形成した。大宰府関係及び周辺の国府・寺院・城砦等の史跡や、現在に伝えられた殿堂・仏像等は、千古の歴史を物語っている。
 中世においては、博多を中心に日宋貿易の拠点として栄え、宋との交流によりもたらされた陶磁器をはじめ、石造美術や経筒、仏教文化の浸透に伴って建立された寺院などが多数残されている。また、博多湾沿岸には、元の襲来を受けて築かれた元寇防塁が、その姿を今に伝えている。
 近世に入ると、幕藩体制の下で産業や文化が発展し、安定した民衆生活が送られる中、それぞれの地域で地道かつ堅実な生活文化が根付いていった。今日まで残る多くの行事や品々は、当時の生活を知るための貴重な史料である。
 近現代においては、現在の福岡県が形成され、西洋文化流入に加えて、豊富な石炭や製鉄に起因する発展を見ることになり、これらの産業関連遺産のほか、当時における先進的な建造物などが残されている。