佐賀県 古川康知事 「反東京的道州制」

 全国知事リレー講座。9回目。本日は、古川康佐賀県知事。この講座は2期目なのに3度目の登場とのこと。そーいえば、補講をしたということを何かで見かけた記憶があるな。(←週刊yasushi平成16年1月6日(火)第033号でした。)。 
何にせよ、お久しぶりでした(!?)。

■古川 康さんのホームページ/週刊yasushi http://www.power-full.com/


(以下、あくまで【情トラ】管理人の個人的なメモです。必ずしも全てが講義に即しているとは限りません。また、事実誤認等があればゴメンナサイ)

 実は、本日、古川さんに敬意を表して、予習をしたうえで講義を受けた【情トラ】管理人。果たしてどのような道州制の議論をきかせていただけるか? と思っていたところ、講義は、まず「反東京的(!?)」に力点をおいて、「へぇ」という知識をちりばめつつ進んでいきました。

■「佐賀県へぇ情報」 http://saganeta.don3.com/


※以下、講義概要
 「ジョゼと虎と魚たち」という映画、その話の舞台は大阪なのに、ロケ地は埼玉。同じように「白い巨塔」も大阪を舞台にしているにもかかわらず、首都圏でロケは行われていたとのこと。人口や事業所数、資本金50億円以上の企業数、法人事業税などなど様々な面でも、東京及び東京圏は、圧倒的な全国シェアを誇っており、情報のトラフィックも全国から東京へ送るものが全体の2割を占めるなど、何かしら東京中心の社会構造となっている現実がある。


■【情トラ】のへぇ情報 ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェー
 「ジョゼと虎と魚たち」の音楽を担当した「くるり」は、奇しくも講義が行われた「立命館大学」出身バンド。このこと古川知事はご存知だったかな?


 その他にも数多くの国立施設(例えば国立大学が12もあるなど)があったり、新幹線や成田空港などの社会資本も地元負担なしで整備されたという経緯がある。これらのことは、「東京でつくるときはナショナルな要請」だとし、「地方でつくるときはローカルなニーズ」だとして、採算をとりにくいところに採算を求めるということをやっているとも言える。このような一極集中は、現在も続いているものであり、このままでは「一都栄えて万村枯る」といった状況を招きかねないのではないか。

    • 国の公共施設で「関西」を用いたのは、「関西国際空港」が初めて(のはず)。それまで、「近畿」しか用いていなかった。へぇ。
    • 警視庁の建物は「A」をモチーフに建てられた。それだけではなく、皇居に近い順に「A−警視庁」「B−内務省」「C−外務省」「D−財務省」とのデザインコンセプトであった。へぇ。
    • 成田空港は、千葉県にあるのに「新東京国際空港」と称していたが、2004年4月1日成田国際空港株式会社新東京国際空港公団から承継したことに伴い、「成田国際空港」が正式名称となった。へぇ。
    • 東京23区のうち、最後にできた区は「練馬区」である(板橋区を分割してできた。)。へぇ。
    • 東京が首都だという明確な法的根拠はない(首都圏整備法(昭和31年法律第83号)第2条第1項において、『この法律で「首都圏」とは、東京都の区域及び政令で定めるその周辺の地域を一体とした広域をいう。』と定義されていることが、東京を首都と称する法的根拠(らしきもの?)である。)。へぇ。
    • ※補足 明治元年7月18日に「東京奠都ノ詔」が出されていますが、「平安遷都ノ詔」が廃されてない以上、「東京に首都を移す」とはなっていないようです。「東京奠都ノ詔」は、「朕今万機ヲ親裁シ億兆ヲ綏撫ス 江戸ハ東国第一ノ大鎮四方輻湊ノ地宜シク親臨以テ其政ヲ視ルヘシ 因テ自今江戸ヲ称シテ東京トセン 是朕ノ海内一家東西同視スル所以ナリ 衆庶此意ヲ体セヨ」と記されており、その内容は、「江戸は、東国第一の大都市であって、ぜひとも自らその政情をみなければならない。これは朕が、全国民を一つの家族のように、東も西も同じように別なくみているからである。国民はこの気持ちを朕と共有してほしい。」とのことです。
    • ※さらに追記 大正12年9月12日に「関東大震災直後ノ詔書」において、天皇陛下が次のように仰られたことがあるようです。「〜(前略)〜 東京ハ帝国ノ首都ニシテ政治経済ノ枢軸トナリ国民文化ノ源泉トナリテ民衆一般ノ瞻仰スル所ナリ 〜(後略)〜。」 ここでは、「東京に遷都する」とされているわけではありませんが、まさに「東京は帝国の首都」というように言明されておられます。また、首都建設法 (昭和25年6月28日法律第219号)第1条において、「この法律は、東京都を新しく我が平和国家の首都として十分にその政治、経済、文化等についての機能を発揮し得るよう計画し、建設することを目的とする」と規定していたようです。なお、同法は、首都圏整備法 (昭和31年4月26日法律第83号)の制定により、廃止されたという経緯があります。)


 では、このような東京一極集中に対する処方箋として、どのような方策があるかといったとき、道州制の議論に注目しているところである。この議論は、地方分権をめぐる動きと密接に絡んでおり、最近では、第27次地方制度調査会の答申にも言及され、それを受けて第28次地方制度調査会への諮問事項ともなっている。

第27次地方制度調査会/
今後の地方自治制度のあり方に関する答申(平成15年11月13日)

http://www.soumu.go.jp/singi/pdf/No27_sokai_7_4.pdf

※以下は、内容を適宜抜粋しています。※

第3 広域自治体のあり方

1 変容を求められる都道府県のあり方
 都道府県の制度は、明治21年に現在の都道府県の区域の原型が確立されて以来、その名称及び区域はほとんど変更されることなく今日に至っている。近年においては、経済のグローバル化、産業構造の変化などを背景として、広域の圏域における戦略的かつ効果的な行政の展開が求められるようになっており、また市町村の規模・能力が拡大しつつある中にあって、広域自治体としての都道府県のあり方が改めて問われるようになってきている。
 
2 今後における広域自治体としての都道府県の役割
 都道府県が自立した広域自治体として、積極果敢にその役割を果たしていくためには、高度なインフラの整備、経済活動の活性化、雇用の確保、国土の保全、広域防災対策、環境の保全、情報通信の高度化などの広域的な課題に対応する能力を高めていくことが求められる。また国から移譲される権限の受け皿としての役割が引き続き期待されており、一層の事務権限の移譲が進められるべきである。さらに、行政サービスの広域的な提供を通じて、バランスのとれた公共サービスの維持に貢献してきた側面があり、このような役割も引き続き必要である。
 基礎自治体との関係では、市町村合併の推進等により、基礎自治体が自立的に事務を処理することになると考えられ、これまで事務の規模又は性質から一般の市町村では処理することが適当でないものとして都道府県が担ってきた役割については、縮小していくと考えられる。
    
3 広域自治体のあり方(都道府県合併と道州制)
 規模・能力が拡大した基礎自治体との役割分担の下に広域自治体としての役割、機能が十分に発揮されるためには、都道府県の区域の拡大が必要である。また、国の役割を重点化し、その機能を地方公共団体に移譲するとともに、自立性の高い圏域を形成していく観点から、現行の都道府県に代わる広域自治体として道又は州(仮称。以下同じ。)から構成される制度(以下「道州制」という。)の導入を検討する必要がある。

  1. 都道府県合併 現行地方自治法上、都道府県の廃置分合は、国の法律によってのみ行い得ることとなっており、都道府県の発意により合併手続に入ることができないことから、現行の手続に加えて、都道府県が自主的に合併する途を開くことを検討すべきである。
  2. 道州制 道州制の導入は、単なる都道府県の合併とか国から都道府県への権限移譲といった次元にとどまらない大きな変革であり、国民的な意識の動向を見ながら、引き続き次期地方制度調査会において議論を進めることとするが、当調査会としては、今後議論すべき論点について、現時点では次のように考え方を整理することとした。
    • 基本的考え方 道州制は、現行憲法の下で、広域自治体基礎自治体との二層制を前提として構築することとし、その制度及び設置手続は法律で定める。
      1. 現在の都道府県を廃止し、より自主性、自立性の高い広域自治体として道又は州を設置する。
      2. 道州制の導入に伴い、国の役割は真に国が果たすべきものに重点化し、その多くの権限を地方に移譲する。
      3. 道州の長と議会の議員は公選とする。
      4. 道州の区域については、原則として現在の都道府県の区域を越える広域的な単位とし、地理的、歴史的、文化的な諸条件を踏まえ、経済社会的な状況を勘案して定められるものとする。
    • 役割と権限 道州制の導入に伴い、国は、「a)国際社会における国家としての存立にかかわる事務」、「b)全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動又は地方自治に関する基本的な準則に関する事務」、「c)全国的な規模で又は全国的な視点に立って行わなければならない施策及び事業の実施」などの役割を担うこととされているが、道州制が導入された後は、国の役割は重点化され、a)、b)のほかc)のうち限定された一部に縮小することとなる。道州は、規模・能力が拡大された基礎自治体を包括する広域自治体として、基礎自治体との適切な役割分担の下に圏域全体の視野に立った産業振興、雇用、国土保全、広域防災、環境保全、広域ネットワーク等の分野を担うものとする。
    • 道州の区域及び設置 道州は、現行の都道府県よりも広い区域と権限を有することから、その区域は「国のかたち」と密接に関連する重要事項であり、法律により全国をいくつかのブロックに区分してその区域を定めるという考え方と、道州の区域は、関係都道府県が議会の議決を経て申請し、国会の議決を経て決定するという都道府県側のイニシアチブを重視する考え方とがある。また、道州の設置については、全国一斉に道州に移行する方法と、一定の道州の要件に合致した場合には順次道州に移行する方法とが考えられる。
    • 税財政制度 地方税財政制度については、道州の権限に応じて、自立性を高めることを原則とする。また、自立性の高い道州制を実現する観点から、自主財源である地方税を大幅に拡充することを基本とし、道州の規模、権限、経済力等を踏まえ、新たな財政調整の仕組みを検討するものとする。
    • 検討事項 道州制の検討を行う際には、上記の観点のほか、a)広大な区域と大きな権限を有することとなる道州が、現行の地方公共団体と同じく、それぞれ住民の直接公選による二元代表制であることでよいか、b)道州制の導入に伴い、その議決機関、執行機関、補助機関のあり方をどうするか、c)首都圏、近畿圏、中部圏など、人口や経済集積等において他の圏域と著しく異なる圏域についても同じ制度としてよいか、d)道州制の導入に伴い、大都市圏域においては、現行の指定都市制度よりも道州との関係において独立性の高い大都市制度を考えるのかどうか、といった観点についても、併せて検討することが必要である。

 また、骨太の方針2004(閣議決定)においても、次のとおり、道州制への言及がある。

地方分権の更なる推進に向けて将来の道州制の導入に関する検討を本格化させる。
地方分権推進のモデル的な取組としてのいわゆる「道州制特区」について、地域からの提案を受け止めつつ、その趣旨を生かす推進体制を整える。

 さらに、道州制と関連したものとして、地方自治法の一部改正により都道府県合併手続の簡素化がはかられた。

 こうした道州制の議論は、現在の市町村合併の進展が都道府県のあり方を見直すひとつの契機となったことは間違いないことであるが、そもそも道州制は、経済界を中心に以前から主張されていた構想でもある(主なものに、1955年−関西経済連合会、1969年−(再び)関西経済連合会、1970年−日本商工会議所、1990年−日本青年会議所など。)。これは、経済が都道府県単位ではなく、ある程度ブロックごとに活動をしていること、そして空港や港湾といったインフラが都道府県ごとに整備されることによってどれも中途半端な整備しかできていないことが理由とされる。
 ただ道州制といってもさまざまな類型があり、組織や権限、税財源をどうするかによって、「都道府県を廃止するもの」や「都道府県を存置するもの」、「国の権限を維持するもの」や「国の権限を大幅に縮小するもの」などおおよそ8つの類型があるとされている。このうち、地方分権という観点からは、権限、財源を国から道州へと移譲するあり方が求められているのであるが、そうすると「自己決定は自己責任で」の原則により、首都であるがゆえに栄える東京への(特に財源の)一極集中は是正されるどころか、ますます進んでしまう恐れがある。
 では、どのような考えがあるのか。ひとつは、税目ごとの偏在性を比較した場合、東京のいわゆる法人二税が突出していることに対して、消費税は多くの団体が平均近くであることに着目して、法人二税を国税化し、消費税を完全地方税化するという考え。法人二税を現状のまま道州制化すると、東京を含む道州とその他の道州との格差が大きすぎる。その格差を調整するため、国税化することもひとつの手ではないか。
 そして、ふたつめは、「東京に自治は要らない」という考え。東京都知事ではなく、東京都長官として、その任に国務大臣をおき、東京への集中を地方への配分とする機能をもたせてよいのではないか、ということである。アメリカ合衆国においては、その首都であって連邦機関が集中しているワシントンD.C.は、連邦直轄地であり、年間予算は連邦政府の承認を要するとか、条例は連邦議会が覆すことができるとか、上院議員の選出ができないなど自治権が制限されている。この例と同様に、東京の自治権も制限して、単なるひとつの都市ではなく、日本という枠組みのなかでニュートラルなところに位置づけられるべきではないかといった考えもあるのではないだろうか。


■【情トラ】まとめ
 「東京に自治は不要だ、って???」と感じるかもしれませんが、言い換えると、「東京は、お金も人も機能も集中しすぎているので、もはやローカルではなくナショナルの枠組みで考えなくてはならない。そのためには、いわゆる『住民自治』ではなく、言うならば『国民自治』とすることが必要なのではないか。」ということだと【情トラ】管理人は理解しました。昨今の地方分権のながれは、従来の中央集権による国のあり方が、現状として弊害が多くなってきているという認識のもとに実践されているわけですが、確かに、その中央集権の恩恵を受けた東京が、その恩恵をそのまま自らのものだと主張して、分権(=独占)するのでは、他地域から異論がでてくることも当然だといえるのでしょう。
 そうしたなかで、首都は一地域ではなく、日本の共有財産であるとして、地域住民だけでなく、国民の意思に基づいて自治を行うといった発想は、本日、最も「へぇ」と感じたところでありました(個人的には90へぇ超え)。
 ただ、「直轄地の(面積・人口などの)規模はどうするのか」とか、「地方分権(=地域の自律に基づく相互調整的な再配分を行うシステム)といいながら、国が東京を直轄することにより、実質的な中央集権(=国家による一方的な再配分が行われるシステム)が残るのではないか」とか、「東京都長官って、内閣総理大臣の任命によるのか、それとも、何らかの選出方法を考えるのか」とか、その他さまざまな論点が考えられそうですので、現時点では、ひじょーに知的刺激をいただいたとだけ記しておきたいと思います(時間がとれれば、夏ごろ、きちんと検討してみたい(かな)と考えています。)。
 あと、本日の講義ではあまりとりあげられませんでしたが、道州制の議論においては、そもそも住民の盛り上がりが期待されるのか、誰が推進の原動力となるのか、市町村や国が積極的に求めるとは考えにくいが、経済界の求めや政治的争点となっていることから議論がすすんでいくのか、といったはじめの1歩の話もあると思います。この入口において、非常に刺激的な切り口からの提案「反東京道州制」は、ある意味で国民的論議を起こし得る可能性もあるのではないでしょうか。その意味でも、充実した講義を受けたという思いが残った次第です。
 最後に、本日の講義は視覚的にも訴えかけるもので、大変理解しやすかったのですが、これは、、、「パワーポイントですか?」(←週刊yasushi平成16年4月27日(火)第049号から)。 

※参考 http://www.ritsumei.ac.jp/mng/gl/koho/headline/topics/2004/06/tiji-saga.htm
http://osaka.yomiuri.co.jp/chiji/ch40612a.htm
http://osaka.yomiuri.co.jp/chiji/ch40609a.htm