「知事シンポジウム/地方はどう自立するか」

 全国知事リレー講座。本日は、いつもの講義と違って、3人の知事をパネリストにしたシンポジウム。出席者は、浅野史郎 宮城県知事、木村良樹 和歌山県知事、古川康 佐賀県知事です。コーディネーターは、川勝平太 国際日本文化研究センター教授。いつもより少し長めの時間をとられていたこともあり、じっくりしっかり聴いてきました。

(以下、あくまで【情トラ】管理人の個人的なメモ(私的な理解、意見も含む。)です。必ずしも全てが講義に即したモノとは限りません。また、事実誤認等があればゴメンナサイ。)

    • 【浅野知事】…この会場にいる青少年(!?)にとっては、勝手にやってくれという意識ではないか。しかし、三位一体の改革とは、あくまで方法論の話でしかなく、すべては「生活者起点」の地域自治という目的のための議論でなければならない。そのように考えると、身近な生活に必ず反映されてくるものなのである。 現在、問題とされなければならないのは、「財源の中央集権」。それも、中央省庁が単なる「補助金分配業」になっていること。 このことの弊害は、具体的に、補助金付きの事業の存在を許していることであって、納税者と為政者(=知事)が直接的に対峙できない仕組みになっていることが、民主主義の本来的なあり方を阻害していると考えている。 
    • 【木村知事】…そもそも三位一体の改革は、小泉内閣による「民にできることは民で行う。地方にできることは地方で行う。」という構造改革の方針を始まりとする。しかし、財務省主導によって、国の財政再建のみを優先した単なる国庫補助負担金及び地方交付税の削減交付税削減などだけが一人歩きし、補助金事業の削減や税源移譲等についてはそのままになってしまっていた。そのため、地方六団体が「国庫補助負担金等に関する改革案」をとりまとめて、政府に要求したという経緯がある。 それゆえ、三位一体の改革とは、そもそも、それだけ単独の改革ではなく、もうひとつ大きな「構造改革」のなかのひとつともいえる。日本も大きく変わらなければいけない時機にあることを認識する必要があると考える。
    • 【古川知事/立ち上がって】…現在の補助金事業は、たとえるなら、大学生への仕送りを現金ではなく、お米券や図書券、野菜購入券といった使途が限定された商品券で送られてくるようなものだ。それも、「あんたの身長・体重からすると、1月にお米は15kg食べるはず」といって、決め付けられて送られてくる。それ自体は、中央省庁のお役人が、栄養や財政状況をよく考えているのかもしれないけれど、地方の側としては、そこまで言われないとダメなのかとの反発が当然にある。 地域に身近な問題は地域で、国でなければならないものは国で担当するのが本来的なあり方であろう。
    • 【浅野知事/立ち上がって上着を脱いで】…「知事の工夫、幸福の自治」という言葉を使っている(※「ちじのくふうこうふくのじち」)。 補助金の大きな問題は「タテワリ」にある。霞ヶ関の一省一局一課一係一担当ごとに補助金があって、それぞれ相互に流用することは許されない。 このことに対する霞ヶ関の言い分は、そのように「タテワリ」にして相互流用を禁止しておかないと、必要な費用であっても、その他の費用に使ってしまうなどして、サボってしまうだろうとのこと。それも、貧乏県では、絶対に知事が都合の良いように使ってしまうのではないかと言うのである。 しかし、生活者がみているのだから、サボりようがないのである。たとえば、教育に必要な費用をきちんと割り当てないと、スグに47都道府県中47位、それも46位に大差をつけられてということになって、県民が批判するところとなる。 大事なことは、中央省庁から叱られるから事業を行うということではなく、県民が騒ぐからそれに対応して事業を行うということだと思う。 なお、このように考えると、県議会議員が、事業予算の使い道について県民を代弁する役割をもっと担うこととなり、その役割がスゴク大きくなるはずである。
    • 【木村知事/座ったままで】…お二人が立ち上がったので、私も立とうかと思ったが、同じコトをしているのでは自治ではない。どこかの県がある決議をしたら、それに横並びのように続いて決議をするということがよくあるが、それも自治とは言えないと思う。 誰でも本音を言えば、国が決めてくれたら、楽だし、責任をとらなくていいはずなのである。住民だってそうで、何でも(現場には存在しない)国のせいにすればいい。 だが、ホントウの意味での市民自治の実現をしなければならないと考えると、今回の一連の流れは、ひとつの試金石となると考えられる。
    • 【古川知事】…中央省庁は、もっと国でしかやれないことに特化してほしい。 たとえば、一級建築士の資格について聞いた話であるが、中国では5年以上大学で建築を学んだ者にしか、その資格を与えないようにしたとのこと。これは、アメリカの同様の資格制度がそのようになっているから、それに対応したということである。現在は、そのような世界の動きに対して、迅速かつ適切に応対していかなければ、日本は取り残されていってしまうのではないか。 国内的には過剰な関与をして、国外的には希薄な対応しかしない中央省庁のあり方を変える必要があると思う。
    • 【浅野知事】…三位一体の改革が成し遂げられると、中央省庁の仕事がなくなり、官僚も今ほど要らなくなるのではないかとの議論があるが、補助金分配業が要らないですってことで、中央省庁は必要であることには違いない。本来やるべきことをやらないで、補助金分配業に現を抜かしていることがいけないのだ。 本来やるべきこととは、たとえば、キーワードとして「国際対応」があるし、「高度専門的問題(ex.ガン撲滅)」がある。地方では対応できない国がやるべきことをきちんとやっていってほしい。

◆参考:三位一体改革推進ネット−地方六団体

    • 【木村知事】…地方議会については、知事が全知全能であるわけではないし、民主主義のあり方として必要だと思う。
    • 【古川知事】…知事の多選禁止という議論がでてきているようであるが、後がみえた人ほど人が寄ってこないものである。たとえて言うと、使い古しのゴキブリホイホイである。選挙で選ばれるということの重みは大事にしなければならないと考える。
    • 【浅野知事】…議員が使命を取り違えているのではないかと思うところがある。よく地方議会は「チェック機関」だというけれども、今では、市民オンブズマンやマスコミ、各種NPO、包括外部監査人制度などがあって、チェックだけなら、最早それほどの存在意義はないのではないか。しかし、議会にはもうひとつ「立法機関」という役割があって、条例の制定にしても、議会の議決事項なのである。それゆえ、議員提案の条例や、政策提言をもっと行うべきだと思うし、そのための仕組み作りが必要だと考える。
  • その他
    • 【木村知事】…道州制については、市町村合併がすすんだ結果、必ず出てくる話である。都道府県は明治のはじめから、何も変わっていない。 国の出先機関との2重性もあり、今後、もっと大化けして進んでいく可能性がある。
    • 【古川知事】…現在、国家という枠組みがものすごく意味がなくなってきている。そうした流れから考えると、日本のあり方としてアジアの共同体というものが重要視されるのではないか。各種報告書においては、「まず」欧米の事情を紹介し、「また」アジアではこのような事情となっているといった「また書きのアジア」になっている現状があるが、これを「まず書きのアジア」にする必要があると思う。
  • 質疑応答

 【情トラ】が「なるほどねぇ」と思ったことを箇条書き。

    • 【古川知事】…知事には、「県庁のトップ」と「県民のリーダー」の2面性がある。外部の眼をもって、県庁組織をみていく必要があるのだが、だからといって、今までやってきたことをすべて否定することはできないし、混乱は求めない。県庁職員には、もっと本来持っているその優秀さを出してほしいと言っているところである。
    • 【木村知事】…公共事業に依存している現状があるところは、仕事のための仕事をつくるというメカニズムができあがってしまっており、本来の目的と全く乖離している。これを、一回整理して合理的に考える必要があるだろう。ムズカシイことではあるが。
    • 【浅野知事】…「欧米にキャッチアップする時代」から「アジアと競争、協力する時代」にかわったと思う。
  • 【情トラ】感想

 このお三方、3人ともやっぱり話がオモシロイ。それと、全く同じトコロでは(絶対に)ないのですけど、同じようなトコロを目指していることも感じられ、それでいて、それぞれが「ほかの2人よりも差をつけてやろう」との気概も感じられました。
 【情トラ】が思うには、やはり47都道府県って多すぎるかなって気がしているのですけど、単に多いから「道州制」にしようとかいう話ではなく、何のために「道州制」にしたほうがヨイのかという議論にしないとダメなのだな,と思った次第です。
 なお、1点。三位一体の改革に対して、使いみちを「地域のことは地域に」任せてくれとの主張をお三方ともされていたわけですが、その「地域のこと」を都道府県職員が必ずしも把握できていない現状もあるのではないでしょうか。市町村職員にしても然りです。
 そんななかで、地域の問題に取り組むNPOが、行政から補助金をもらって事業を行うとき、現状においては、その使途が限定されていると思います。これを、地方自治体が中央省庁に主張したように、NPO地方自治体に対して「任せてくれ」と主張してきたときには、それぞれどう対応されるのかなって疑問があります。まあ、地方自治体とNPOの背景/基盤が異なるので、自由に使わせるわけにはいかないかもしれないのですけど、現にNPO等側から、そうした主張が出てきていることを見聞きしていますしね。
 このあたりのところのひとつのヒントは、浅野知事が言われていた「地方議会」の「政策提言」という本来的な役割の具体的内容なのかなって気もするところですけど。

 以上、今年の終わりに相応しい、【情トラ】にとってタイヘン示唆に富んだシンポジウムでした。