やすきよのネタづくり,コント赤信号のコント

 某お笑い番組にて。きよし師匠曰く,たとえば「西瓜」というテーマで20分間の漫才をするとして,やすきよは,それぞれが10分ずつのネタをつくり,持ち寄って併せ,余分な部分を削ぎ落とし,舞台を重ねるごとに洗練させるという手法を採っていたとのこと。
 横山やすし・西川きよしの漫才は,どちらもがボケ,どちらもがツッコミをやるというスタイルで有名ですが,こうしたスタイルは,ネタづくりの方法から,ある意味,必然だったのかも。
 あと,同じ番組内で知ったのですが,コント赤信号は,1985年9月に行われたライブイベント「激笑コント 漫才をこえる日!!」@扇町ミュージアムスクエア*1を境にして,いわゆるコントをやらなくなったとのこと。
 これは,「このコントの幕間にダウンタウンが出演し,ウケまくっていたのに対し,コント赤信号はスベっていたことが,その理由」などといったお話を,ラサール石井さんがされていました。紳竜解散時のエピソードは有名ですけど,この話は初耳。

*1:番組内では,扇町ミュージアムスクエアでやったコントとしかおっしゃられなかったのですが,おそらく間違いないと思われますです。