明治憲法

 明治国家の課題として近代的な国家建設があり、その要件としては、中央権力が確立しているという「統一」、関税自主権がなく、領事裁判権が認められていた不平等条約の改正を行う「独立」、そして権力分立により、国民の権利・自由を守るという憲法典をつくるという「立憲国家」であることがあげられる。これらのうち最後を実現させたのが、大日本帝国憲法(以下「明治憲法」という。)である。
 この明治憲法は、いわゆる欽定憲法、すなわち君主の権威により君主によって制定された憲法とされており、天皇による統治という「国体」原理に基づくものである。この「国体」の具体的内容は必ずしも明らかではないが、憲法起草者等の解説によれば、特に次の2つのポイントがある。

    • 「国体」と「政体」は違うということ。すなわち、「国体」とは統治権の所在の問題であり、「政体」とは統治権の行使態様の問題であるとされ、憲法典の制定は、絶対君主制から立憲君主制へと「政体」を変更するものであったが、天皇による統治という「国体」原理を変更するものではない。
    • 皇位継承天皇の身位について、国民が可否を決すべきでないこと。すなわち、皇位継承や摂政設置などについては国民が決定するのではなく、皇室典範の定めるところとして、皇室の自治によるとされたことが、皇室典範憲法典と同格またはそれ以上の権威が認められたことになる。

 なお、明治憲法の内容としては、政府の単独意思によって権利・自由を制約することのできた憲法制定以前の状態と比べると、国民の権利・自由の保障は格段に前進したといえるものの、それは人間が生まれながらにもっている生来の自然権(人権)を確認するという形のものではなく、天皇が臣民に恩恵として与えたもの(臣民権)として与えたものであったなど、民主性に欠ける点が少なくなかった。(EX.緊急勅令制度(8条)の存在と立法の委任の濫用など。)