文字はどこにあるか

 ちょっとだけロースクールっていうキーワードで来る方がいらっしゃるみたいですね。というわけで、適性試験問題のよーなもの(またもやボツ問題ですけど−【情トラ】管理人作成)。これはあくまでも【情トラ】管理人の個人的なメモですので、ナンヤカンヤトイッタコト、オユルシクダサイ。

第〇問 次の文章を読み、下の問い(問1〜4)に答えよ。

 自然物を見ている時、そこに文字を見ることはまずない。考えてみれば、これも不思議である。電子顕微鏡の世界は、それまで人が見ることのなかった、おびただしい世界を見せてくれた。その複雑さ、広さからすれば、文字というパタンが、偶然そこに見えることがあってもいいような気がする。しかし、そんなことは、いまだかつて無かった。
 ということは、文字とは、きわめて( A )なものであり、( B )なものではないことを意味する。すなわち、視覚にとっては、きわめて区別しやすく、認識しやすい形であるが、それは同時に、自然界にまぎらわしいものが無い形なのである。
 だからこそ、おそらく、象形文字は、文字の発達の初期段階から、次第に「象形」性を失ったのであろう。自然物の形を保存すればするほど「文字」としての機能は阻害されざるを得ない。そんな気がする。
 そう思えば、当たり前だが文字はきわめて( A )な「発明」である。( C )といってもよい。だから、文字の探究は、必然的にヒトの脳の探究になるに違いない。それは、自然物に見られる形に対して、脳の中に存在する形を代表するのである。
 ミシェル・フーコーは、アルファベットを用いることが、西欧の科学的思考を生んだと考えた。アルファベットの世界では、無意味な記号を結びつけて「語」を作るとき、それがだしぬけに意味を持つことになる。かれらにとっては、一見バラバラであり、個々には無意味な過程が、複合された時にだしぬけに意味を持つことについて、幼い時からの確信があるに違いない。一見偶然な現象を結合して、論理的な筋道に至るという、自然科学的思考は、「それは可能」だという信念なしには、進むはずがない。それを助けたのは、アルファベットを用いる習慣だ。フーコーはそう考えるのであろう。それなら、漢字を用いる国民は、いきなり「意味」を追求することになるであろう。「形」それ自体に、意味が存在することについて、われわれにも、同様な確信があるはずだからである。
 われわれに、人相や手相を「見る」ことに対する偏愛があるとしたら、それは漢字を用いることによって、培養された習性かもしれない。われわれはつねに、物事の意味を「見てとる」ことについては、はなはだ敏感である。他方、アルファベットの世界では、意味を「組み立て」ようとするであろう。
 ( D )
                           (養老孟司『文字はどこにあるか』による)

 問1 この文章における「アルファベット」と「漢字」の違いを示す説明として最も適当なものを、次の1.〜6.のうちから1つ選べ。

    1. 脳の中に存在する文字が「アルファベット」であり、脳の中に存在しない文字が「漢字」であるとしている。   
    2. 脳の中に存在しない文字が「アルファベット」であり、脳の中に存在する文字が「漢字」であるとしている。
    3. 自然物の形をより保存した文字が「アルファベット」であり、象形性をより失わない文字が「漢字」であるとしている。   
    4. 自然物の形をより保存していない文字が「アルファベット」であり、象形性をより失った文字が「漢字」であるとしている。
    5. 自然物の形をより保存した文字が「アルファベット」であり、自然物の形をより保存していない文字が「漢字」であるとしている。
    6. 自然物の形をより保存していない文字が「アルファベット」であり、自然の形をより保存した文字が「漢字」であるとしている。

問2 文章中の空欄( A )〜( C )に入る語の組合せとして最も適当なものを、次の1.〜5.のうちから1つ選べ。

    1. A−複雑   B−単純   C−偶然
    2. A−単純   B―複雑   C−必然
    3. A−人工的  B−人間的  C−科学的
    4. A−人間的  B−自然的  C−人工的
    5. A−科学的  B−人間的  C−自然的

問3 文章中の空欄( D )に入る文として最も適当なものを、次の1.〜5.のうちから1つ選べ。

    1. 私は、自分の意見のほうが正しいと思っている。フーコーの理屈を、ひっくり返すことができたからである。
    2. 私は、自分の意見が正しいなどとは思っていない。フーコーの理屈を、ひっくり返してみただけである。
    3. 私は、自分の意見のほうが正しいと思っている。フーコーの理屈は、疑問点が多々あるのである。
    4. 私は、自分の意見が正しいなどとは思っていない。フーコーの理屈とは、全く正反対であるからである。
    5. 私は、自分の意見のほうが正しいと思っている。フーコーの理屈を、さらに先にすすめたものだからである。

問4 次のア〜エのうち、この文章で述べられていることの組合せとして最も適当なものを、下の1.〜6.のうちから1つ選べ。

ア 漢字を用いる国民は、いきなり「意味」を追求することになるために、自然科学的思考に敏感であると考えられる。
イ 漢字を用いることは、人相や手相を「見る」ことに対する偏愛を培養するとも考えられる。
ウ フーコーは、「形」それ自体に意味が存在する漢字を用いる習慣が、物事の意味を「見てとる」ことについて敏感な思考を生んだと考えた。
エ フーコーは、無意味な記号を結びつけて「語」を作るとそれがだしぬけに意味を持つアルファベットを用いる習慣が、西欧の科学的思考を生んだと考えた。

  1. アとイ     2. アとウ     3. アとエ
  4. イとウ     5. イとエ     6. ウとエ