「民主主義→市民参加→パブリックコメント」について

 私の考えでは、ある共同体の運営が、当該共同体に所属するひとびと(=「市民」)の意思に基づいて行われることを目的とすることを「民主主義」としています。そして、その前提から、共同体の運営にある多くの運営過程に市民が参加し、各人の意思を反映させようとすることこそが、「民主主義」の姿だと考えるのです。
 もちろん、わざわざ市民が参加しなくたって、代表者を選び、その人に任せるのも「民主主義」だといった考えもあるでしょうが、その代表者が果たして「誰」を代表しているのか、特定の個別利益さえ代表すれば議員に当選できる現状がある限りは、市民ではなく、その特定利益を代表しているだけとも考えられます。だからこそ、やはり「市民が参加しなければ意思が反映されない(ことがある)」となるわけです。
 それに代表者に任せるとしても、政治家や官僚にただ単にお任せするのではなく、たとえ専門知識はなくてもキチンとした批評眼をもった参加者となることが、より健全な運営がなされることにつながると考えているわけです。
 ただし、市民が地域の問題の決定に積極的に参加するためには、自分の仕事や時間をある程度犠牲にする必要があると考えられます。そんな犠牲がいるのなら、意思が反映されなくてもええわ、となることも想定されるわけですよね。なので、できるだけ労力を使わずに参加でき、さらには参加したことに満足感を覚えられるようなインセンティブが求められることになります。
 そこでひとつの方法としてでてきたのが「パブリック・コメント」です。これは、具体的な資料等が公表されるため争点を理解しやすいこと及び政治家等を仲介せず直接に提言できることによる参加コストの低さと、単に「聞くだけ」に終始した従来の制度と異なり、意見等を提出したら、それに対する取扱いの結果とその理由を公表することによる意見提出者が感じる満足度の高さがあると考えられるものです。
 以上をもって、「民主主義→市民参加→パブリックコメント」という玉突き(?)をしているトコロです。