刑罰の目的について【大阪市立】

■矯正施設内で受刑者の自由を制限することについて、Aの筆者は、「規律正しい生活こそが二度と罪を犯さない人間になるため必要なもの」と肯定する。それに対し、Bの筆者は「刑務所は受刑者の自由を拘束するだけで、それ以上の義務を科すことに」否定的である。同様に、刑務作業の義務づけについては、Aの筆者は当然だと評価し、Bの筆者は受刑者の品位を傷つけると考えている。
■これら両者の違いは、刑罰の目的について、Aは「躾」と考え、Bは「被害等に応じた自由の拘束」と考えることによると解される。
■確かに被害者感情を考慮すると重い苦役を求めることになるだろう。しかし、受刑者もいつかは社会復帰することを思うと、単に苦役を与えるだけでは、被害者を逆恨みしかねないこともあって、再犯の可能性を高めないともいえない。その対策には、Aで主張される「躾」は、あくまで受身のものであり、受刑者が本心から自立できるとは認めがたい。またBで言う「自由の拘束」だけであっても、何ら受刑者本人が自己の行為や被害者の心情を省みる契機がないだけではないとして、十分とは言いがたい。
■私が考える「刑罰の目的」は、受刑者が再び犯罪を犯さないように、自己反省と被害者感情の理解をさせることを、その中心とするものである。とすると、矯正施設内で受刑者の自由を制限することは、じっくりと自己反省の機会を与えるため必要となる。その程度としては、人権侵害を受けた被害者の心情を想像し、理解するきっかけとなるにふさわしいプログラムを与えるといったことが求められるだろう。
■そして、刑務作業を義務づけることについては、それがそれが人間の尊厳を侵害するような程度は避けられなければならないが、受刑者が再び犯罪に手を染めなくても十分である程度に、技能を身に付けさせるといった対策が必要であると考える。
■つまりは、A及びBで主張されるところの中ほどに、私が考える「刑罰の目的」があると言うことができるのであって、受刑者の再犯可能性をできうる限り少なくすることを中心目的に据えて、AB両者のバランスをとることが必要とされるのである。