特別講座 「日本の伝統文化、その新しい創造」 名倉鳳山 氏

 「硯」という誰もが小学校のとき書道の時間に使ったことがあるわりには、あまりなじみがないのではないかと思われるものを、価値ある美術工芸品としての創作を通してみる文化ということでの特別講座でした。

(※以下は、あくまで【情トラ】管理人の個人的なメモです。事実誤認があるかもしれませんっ。)

 鳳来寺山は、昨年開山1300年を迎えたところで、鳳来寺硯も同じような歴史があると伝えられるが、実際本格的になったのは鎌倉・室町時代頃からと考えられる。 硯といえば、当初、僧侶や権力者のみが使用していただけであったが、江戸時代頃から一般にも普及しだし、特に鳳来寺硯は鳳来寺詣でのお土産用として人気があった。 しかし、明治にはいり廃仏毀釈の影響で観光客が訪れなくなると次第に衰退していったが、学校制度が始まり学童用硯の需要が高まったことで、再び硯づくりが活発化した。 だが、昭和にはいる頃には、戦争の影響、鉛筆の普及化、中国硯による圧迫などによって再び衰退していき、現在は、高級な美術工芸品として創作することで伝統を守ることを目指して活動している。

 伝統は、長いスパンで、何世代かにわたって、つくり上げていくことが必要である。 また、地元が支えることも必要であるし、余裕がある人が寄付などにより支えてくれることも大切。 さらには、芸術ということで考えれば、ひとりでいいから一般に訴えかけることのできるスターをつくることが重要である。 まちづくりも同様であって、よく野外彫刻の制作として抽象的なオブジェがつくられることがあるが、そうではなくオーソドックスなおじいちゃん仙人の像などつくったほうが訴求力があって、お賽銭だって集まることもある。

 硯自体は、どのような創作がよいものであるのかは、まだまだわからないが、あえて言ってしまえば、昔ながらのもの、大量生産ができるようなものは、つくっていても面白くないということもある。 見せるもの飾るものには賛否両論があっても、それを欲しいと思ってくれる人=ファンが多くなれば、ありがたい。

 硯で墨を磨ることは、書にむかう前に、余裕を持つ時間となる。 そのようなときに磨り心地がよく、日本人らしさというものがでた硯の創作を行いたいとのこと。

 そのほか、現存する鳳来寺硯の最古のものは、長篠の戦いで有名な長篠城お堀跡から出土したお話。松本清張の「考える葉」という話に先代の名倉氏がでてくること(概要:男の死体は、心臓を刺され、右胸の皮膚を円く抉られていた。死ぬ前この男は甲州の鉱山を訪れていたことを突き止めるが、続いて起こる2つの殺人。被害者は旧日本軍憲兵の前歴を持つ浮浪者と、東南アジアR国から秘密の目的で来日していたいち外国要人だった。。。)。また、硯には国宝がないが、硯箱には国宝があること。日本と中国における硯がもつ価値の違いなどについて、お話がありました。