闇金融との闘いが困難なワケ【大阪市立】

【1】
■法定金利を大幅に上回る融資を行う闇金融業者に対しては、その暴利を根拠に「借りた金は返さなくていい」という主張があるが、借りたものは返さなくてはならないのは幼稚園児にだって自明の理であって、違法な取立てでも行われない限りは、この高利貸業者のほうに「貸した金を返せ。約束を守れ」という道徳的な正しさがあるのである。法定金利を大幅に上回る暴利であることも、自分の意思で納得したうえで契約している以上は、その違法性を根拠に返さないことの正当化とするのは、より基本的な社会のルールを反故することなのである。


【2】
■自分の意思で約束した以上、その契約がたとえ法定金利を大幅に上回る融資であったとしても、「返さなくていい」と主張する正義はないとする筆者の見解は、私たちの社会におけるより基本的なルールを守るべきという道徳を背景にしており、一理あると認められよう。しかし、この見解が前提にしているように「自分の意思で契約した」と本当にいえるか疑問が生じる。そもそも、こうした高利貸から借金をする時点で、それ以外の選択がないことは貸す側、借りる側の双方に自明のことであり、その弱みにつけこんだ暴利と解されよう。
■だからこそ、貸倒れのリスクがあるので、高金利とするとの反論も考えうるが、それも確かなリスク算定に基づいておらず、貸す側が一方的に利益を得るためだけの約束だとしたら、両者の合意とは最早解されず、筆者の見解を私は肯定しえない。そして、このような一方的な押し付けが多数を占めることが闇金の問題なのではないか。ここにおいては、貸す側の暴力等を背景にした一方的なふるまいがあり、道徳というルールに反することを貸す側はあからさまにならないよう黙って示すのである。
■「約束が道徳に相反したものであるとき」は、約束が見かけ上は双方の合意に基づくものであったとしても、実質上は借りる側にとって全くの自由意思ではなく、ほぼ強制によってなされた合意であると考えられるため、その約束は守られるべきものであるとはいえないと私は考えるのである。
■ただし、筆者が示す案のように、上限金利を引き上げ、できるだけ多くの業者をルールに従わせたうえで、それらの業者が正当なリスク算定に基づき高金利を設定した場合に、借りる側がその高金利を了承して契約したときには、その契約はきちんとした約束として扱われ、守らなければならないのは当然のことであるとも考えられよう。