小中高、そして大学における法学教育について(その2/改善版)【I】

【1】
■現在の日本は、個々人の価値観が多様化してきている。そのため、従来の行政による画一的な事前規制は有効性を持たなくなり、司法による多元的な事後調整が求められているところである。
■こうした現状を鑑みると、法律基礎を学校教育に取り入れるにあたっては、従来の「公民」や「政治経済」のように、知識の詰込みに終始してはならない。(1)様々な事案を自らの視点で考える姿勢を養うこと、(2)様々な相手との議論を論理的に行える力を養うこと、という2点が、その年齢や発育に応じて必要になるといえよう。なぜなら、この2点こそが、法化社会に必要な素養だからである。
■まず、小学校では、(1)を重視して、他人の意見を鵜呑みにしない問題意識づくりを教えるべきである。本で読んだことと実際に見聞きしたことの違いを、きちんと認識させる社会科見学の充実などが挙げられよう。
■次に、中学校では、(1)及び(2)の双方を踏まえて、ディベートを教えるべきである。ディベートは、自らの考えとは異なる立場でものを考える契機にもなるし、論理的説得力の養成も期待できよう。
■そして、高等学校では、(2)を重視して、現実の社会問題を取り上げるべきである。卒業後、納税者となり、選挙権を持ち、さらには裁判員にもなり得るという状況を考えると、主権者の1人としての心構えをきちんと教育すべきであろう。


【2】
■小中高で「法律基礎」が導入された場合、大学の学部生は、少なくとも、(1)自分独自の視点で物を考えること、(2)議論を論理的に行うことの2つについて、基本的な素地があることになる。それゆえ、大学における学部成員対する法学教育は、単なる知識の伝授ではない、法的思考力の養成へと変わらざるを得ないような影響を受けるだろう。このことは、司法による多元的な事後調整が求められる法化社会への対応として、非常に意義があるといえる。
■まず、教養課程においては、社会人としての基本的素養の体得を目的とすることになろう。民主主義の原理としての憲法、個人と個人、個人と企業間で紛争が生じたときの民法裁判員に選任されたときのための刑法、刑事訴訟法などが対象になる。これらについては、最低限の知識と、現実に自らがそうした問題に関与したときの自らの論理を予め考えておく契機になるような教育が必要とされるだろう。
■そして、専門課程においては、やはり、最低限の知識として、判決や学説といった解釈学も必要ではあろう。しかし、それだけではなく、養われた独自の視点、強固な論理力を生かすことが目的にされると考える。いわゆる六法の解釈を基本として、どこからか正解を発見してこようという態度をとるのではない。個々の事案の当事者の立場に立って、当事者間で正義を達成できるような合意に至るための訓練も必要となろう。その延長として、立法学も教育内容に含められるだろう。