規制緩和【L】

【1】A
規制緩和が目指すものは、現在、規制に守られて高コスト体質に陥った産業の行政頼みを撤廃することである。そうした業界保護がなくなれば、質や効率の悪い企業は縮小・倒産し、市場に支持される企業のみが生き残ることで、経済が活性化するはずである。ところが、日本ではこの仕組みが「弱肉強食」と混同される。本当の意味での弱者である失業者や病人、子供、高齢者といった人たちは、社会政策や福祉政策で救わなければならないのであって、規制緩和とは別問題ととらえるべきなのである。


【2】B
規制緩和とは、過剰に行政に集中した権限である規制を廃して、市民の手に移すことである。しかし、実際は市民ではなく大企業に権限を移すもの、つまり、大企業が完全に自由に行動して、経済面のみに係る利益を追求できるよう求める運動でしかないものとなってしまっている。市場においては、私たち市民は「消費者」としてのみ捉えられているが、本来は、「生きる」「働く」「暮らす」の統合体として生存する。それゆえに、企業行動を「市民社会的規制」の下におくことで、「全体的な整合性」を追求することこそが必要なのである。


【3】
規制緩和に対して、A、Bともに、行政に集中した権限を緩和・撤廃するということで共通するが、Aは市場の論理を重視し、Bは市民の論理を強調する。そして、社会的弱者に関して、Aは、市場の論理を適用せずに、政治や行政による救済がなされるべきとし、Bは、幅広い範囲において社会的責任を企業が負担すべきとすることで、その主張を異にするのである。
■私が考える「規制緩和」とは、中央集権的に再分配を行う仕組みを廃止するものであり、その意味ではAB両者と主張を同じくするところである。しかし、どうしても再分配を受けざるを得ない社会的弱者に対するセーフティネットについては、Aの主張のように政治・行政に求めるだけでは不十分だと考える。また、Bの主張のように企業に求めるだけでも不十分だと考える。私は、それらの政治・行政・企業が各々の得意分野をカバーすることが必要であり、また、それだけではなく、市民の自立的な相互扶助ネットワークを構築することこそが望まれると考えるのである。
■なぜなら、Aの主張に基づき、政治や行政によるセーフティネットばかりが求められると、結局は、中央主権的に再分配を行うことが最も効率的だとして、行政に権限が集中することになりかねない。また、Bの主張に基づき、企業の社会的責任ばかりが求められると、その責任の負担に耐えられない中小企業も存在するであろうことから、結局は、大企業ばかりが権限を集中させることになりかねないのである。
■それゆえに、AとBの主張するところの長所をバランスよく取り入れることが必要だといえるのである。さらに、両者の主張とは別に、市民自身が公益的な視点をもって、お互いに助け合いの精神をもつことが重要になろう。そして、その相互扶助においては、それまでの行政による規制とは異なる市民自らの手によるルールを制定することが必要となると考えられる。そのルールの制定があってはじめて、従来の規制が完全に緩和されることになると言えるのではないだろうか。