伝統重視と現実重視の立場の対立(その1)【I】

■本論争について賛否双方が納得する解決策を考えるため、まずは、甲の擁護派と非難派のコメントを、客観的にどう評価できるか検討しながら整理するものとする。
■最初に、非難派は「神事は全て右手で行うのが文化」だとする。それに対して擁護派は「神前儀式で左右いずれを優先するかはケース・バイ・ケース」という。この点については、実態を全て把握できるものではないが、「全て右手」と断言できるとは評価しがたいだろう。
■次に、非難派は「相撲も神事である」とするが、擁護派は「興行色の強い文化」だという。これについては現実には興行だととらえられていると言えよう。観客は何も神事を見に来ているわけではなく、力強いスポーツとしての取組みを楽しみに観戦に来ているのである。
■そして、擁護派は「手刀はパフォーマンスに端を発しており、その歴史は浅い」というが、非難派は「角界には、後付けの文化が多い」として、手刀を大切にすべき慣習だと主張する。これについては、歴史が浅かろうが定着した慣習も当然あると言えるだろう。
■また、擁護派は「手刀については明確な規定はなく、本人の自覚の問題」とするが、非難派は「規定がないことを根拠に慣習をなし崩しにすると、伝統が全て崩れ」るという。これについては、擁護派の「本人の自覚」が何に対する、どのような自覚かという疑問もある。慣習を尊重すべきと自覚することだと考えているように思われ、ここでは、本来的には擁護派も非難派と同様に、伝統は重んじるべきものと考えているのではないかと評価できよう。
■最後に、非難派は「横綱は率先して伝統を守るべき」であるにもかかわらず、「甲は、品位を損なう言動で非難を浴びてきた」とする。これに対して、擁護派は「甲はまだ若く、利き腕は左腕」という事情もあるし、また、「大相撲は、度量と大らかさで永続してきた文化」だという。この点については、あくまで今回の論争は、甲1人の個人的な資質について非難している面が多分にあり、甲本人の弁解または主張を聞く機会が設けられるべきと評価できよう。
■以上をまとめると、この論争については、神事を根拠にし難いが、手刀は右手で切ることが伝統とされること、そして、伝統・慣習はできるだけ尊重すべきと両者ともに考えていると言えよう。そして、甲本人の自覚を促すことにも意見の一致が見られるのである。
■ゆえに、双方が納得する解決策とは、甲本人に伝統を尊重する自覚を促すことであると、まず考える。ただし、この場合、甲に意見を述べさせる機会を与える必要もあるだろう。そして、伝統に関する明確な規定づくりが必要だと考える。何が守るべき伝統で、何が自由化を線引きすることこそ、伝統を確実に守り、尊重する心を育てる第一歩なのである。