ネットワーク社会におけるルール【大阪】

【1】
■ネットワーク社会と市場経済は、いずれも、現実の多様な生活空間をつなぐ媒介として形成されたという意味でパラレルな関係にある。しかし、市場経済において、貨幣が人間の価値を決定する傾向が存在するように、ネットワーク社会において、情報が人間の価値観を支配する危険が常に存在するようになった。こうした危険に対して、生活空間の間に明確な線引きをすべきという主張がある。しかし、それでは現実の多様な生活空間を結ぶ多元主義の要請に応えることができず、生活空間の閉鎖化を助長することになりかねない。それぞれの生活空間が自発的に開放性を維持し、相互に刺激を与え合うことこそが、必要とされることなのである。

【2】
市場経済をめぐる問題として、市場と道徳などといった倫理問題があるが、この倫理問題は、自由のルール化と合理的な信頼の自発的な形成の問題をその本質としている。
■このような市場経済をめぐる問題は、ネットワーク社会と市場経済が、いずれも、現実の多様な生活空間をつなぐ媒介として形成されたという意味でパラレルな関係にあることから、ネットワーク社会においても、同様の指摘ができると考えられる。
■たとえば、人々はネットワーク社会において、様々な情報を自由に交換しようとする。しかし、そうした自由な取引に全てを任せられるわけでも、あるいは任せるべきでもない。また、そもそも誰がそのルールを作るのかという疑問もあると考えられよう。つまり、ネットワーク社会でのルールは、多様な生活空間の存在を前提にしたうえで、それらがお互いに寛容の精神をもって、刺激を与え合うなかで形成することが求められるのである。
■しかし、このネットワーク社会におけるルール形成のあり方は、本当に正しいのか疑問もある。まず、市場経済とネットワーク社会がパラレルな関係にあると筆者は主張するが、両者には決定的な違いがあると考えられる。市場経済においては、取引こそが全ての根本であるため、取引をしない自由を持つことは、基本的に意味がない。しかし、ネットワーク社会においては、プライバシーの保護は基本的人権であって、情報交換しない自由を持つことが、大きな意味をもつ。それゆえ、ルールの自由化の問題において、プライバシーの保護をア・プリオリな概念としないことは問題ではないか。
■また、合理的な信頼の自発的な形成がなされるべきだと筆者は主張するが、そもそも信頼関係を築くことが不可能な関係も存在するはずである。市場経済なら金銭的利益を得ることさえできればよいと割り切ることも可能であろうが、ネットワーク社会においては、そうした割り切りは、本来的に無理なのではないか。
■以上、筆者の主張とそれに対する反論を踏まえると、基本的には筆者の主張を肯定する。しかし、その反論も、筆者の主張の重要な部分を侵害しない範囲で、採りいれる必要があると考える。
■すなわち、プライバシーを相対的に定義されるべき概念とする筆者の主張に対しては、まずは、個々人が自らに関する情報を完全にコントロールできる権利を絶対的なものとして確立すべきだと考える。確かに、生活空間全体をプライバシーとみなすことになれば生活空間の閉鎖化を助長するかもしれないが、逆に生活空間全体がネットワーク社会上に公開されてしまえば、ネットワーク社会そのもの否定につながるかもしれない。そのような事態を防止するためにも、プライバシー全てが相対的なものだとの考えは改めるべきである。
■また、合理的な信頼の自発的な形成がなされるべきという筆者の主張に関しては、確かに信頼を形成できるような関係であれば、自発的に形成されることが望ましい。しかし、全くそれが期待できない場合には、国家がもつ強制力を背景にしたルール形成が必要だと考える。たとえば、ネットワーク社会を破壊しようとする者に対して、ネットワーク社会において合理的な信頼が形成できるだろうか。このような場合には、国家がネットワーク社会そのものを守る趣旨においてルールを形成することが必要なのである。
岩波講座 現代の法〈10〉情報と法/桂木隆夫
市場経済の哲学 (現代自由学芸叢書)/: 桂木隆夫