麻薬使用は刑事犯罪か否か【大阪市立】

【1】
■薬物乱用による暴力や生活破綻、麻薬使用からの幻覚によってひきおこされる凶悪な事件や薬代欲しさの窃盗などが、広い範囲にわたり、さまざまな角度から市民生活をおびやかしていることは事実である。また、麻薬使用が「被害者なき行為」のままで止まらず、盗みや恐喝などの他人に害を及ぼす犯罪につながるケースが多いことも認めるところである。しかし、これらの問題が末端の個人の麻薬使用者を刑務所に監禁し、彼らを社会から排除することで解決するのかといえば、疑問をもたざるをえず、その答えが否であることは既に過去の事実が証明しているのである。
■例えば、ポルトガルでは、行刑組織そのものがマフィアの手中にあり、被収監者が末端ディーラーとして駆り出されてもこれを黙認し、実質マフィアのための人材派遣機関に成り下がっていたという事例さえあるぐらいである。これについては、日本とは事情や社会的背景が違うという反論が考えられるが、社会的背景が違うからといって、個人の麻薬使用者を刑務所に監禁しても、新たな麻薬使用者が続々とあらわれるだけであり、収監された者にしても、刑務所をでれば2回3回と麻薬を使用し始める事例もあると考えられ、その実体は変わらないと言えるのである。
■また、麻薬が他の犯罪につながると言っても、その理由は、合法的に麻薬を入手する手段が断たれているからこそ、不正取引が横行し、価格が異常に吊り上がることにあるのではないか。仮に麻薬を合法化した場合、その取引は適正な市場による価格に落ち着き、そうした適正な取引が行われるからこそ、暴力団等による不法な取引の影響が縮小または消失することになるとも考えられるのである。
■以上からすると、単に麻薬を使用したというだけでは、社会がきちんとそれに対応する限りは、その使用による悪影響は当人だけに及ぼされるものであり、その意味で「被害者なき行為」との位置づけが可能なのである。


【2】
■そもそも犯罪とは何なのかを考えると、ある行為を犯罪であると法が定める時、それはどういった論理に基づいているのかという根本的な疑問が生じる。例えば、殺しや盗みは他者に危害を加え他者の権利を侵す行為であるという客観的な事実を根拠とし、それ自体に犯罪性が存在するのは明らかだという論理に基づく。
■しかし、麻薬の使用については、単に麻薬を自分で使用するだけであればこれはたばこやお酒の飲みすぎと同じで、当人を傷め付ける行為ではあっても他者に直接の害を及ぼすものではないため、他者の権利を侵害するという客観的な事実を根拠とするのではない。その行為が反道徳的であり、一般社会に受け入れられるものではない、だから罰せられるべきであるという論理に基づくのである。そして、この論理は、道徳が元来、社会の多数派を成す集団がその時々に抱く曖昧で変りやすい価値概念に過ぎず、そこには普遍性もなければ絶対性も客観性もないことからして、恣意的なものとして考えられるのである。
■民主主義に基づいて、確かに社会の多数派がある行為を犯罪として処罰する法律を制定することができるのであるが、その行為を行う少数派の権利と自由に対する制限は、何らか明確な根拠に基づく必要がある。また、その制限も必要最小限にされなければならないことも民主主義の根本的な原理として求められるものであると考える。
■何故ならば、これらの原理が肯定されない限りは、民主主義とは単なる恣意的な押しつけになってしまいかねないからであり、民主主義からほど遠い排除の論理に堕するとも解されうるからである。とすれば、社会の多数派が有する価値観が主観的かつ一過性のものである場合には、そうした恣意的な価値観に基づく刑罰を少数派に押し付けることこそが、何より民主主義の根本原理を否定することにつながると解することができるのである。