物権法/第7講 登記を要する物権変動Ⅱ

<1>共同相続に関する登記を要する物権変動については、次のようなケースにおいて問題が考えられる。すなわち、「Xが死亡し、そのX所有の土地甲をXの子YとZが相続した場合に、YとZは各2分の1の相続分で甲を承継し(民法899条*1)、YとZとの間で遺産分割協議がまとまらないうちには、甲はYとZの共有に属する(民法898条*2)。ところが、Zが自分が甲を単独で取得する棟の遺産分割協議書を偽造して、甲につきZ名義の相続登記を行ったうえで、甲をAに売却し、登記も移転した」というケースにおいて、Yから当該登記の抹消登記請求が可能であるかとの問題である。
■これに対しては、判例*3では、Aは民法177条の第三者とはならないという「適用否定説」をとり、YからAへの抹消登記請求を可能とする。これは、共同相続の効果は、持分の限度で所有権を取得するものであり、それゆえ、Zの持分を超える分である「Yの持分」についてはZは無権利者である。だから、当然、Aは「Yの持分」について取得原因がないので、民法177条の第三者にあたらないと考えるのである。
■このときに、Yが都会に住んでおり、Zが甲を含めた遺産の管理をすべて任されていた場合においては、「①外観が存在していること*4」、「②権利者Yに帰責性が認められること*5」、「③Aが民法94条2項の意味での第三者であり、善意無過失であること」との要件が満たされると、民法94条2項類推適用によりAの信頼が保護されることになる。<2>相続放棄に関する登記については、次のようなケースにおいて問題が考えられる。すなわち、「Xが死亡し相続が開始したが、そのXの子YとZのうち、Zが相続を放棄した。ところが、その後、その旨の登記をしない間に、Zの債権者Gが、Xの相続財産のうち土地甲につき、Zに代位して、YZが共同相続したという登記を行った上、Zの持分2分の1を差し押さえた」というケースにおいて、Yから当該登記の抹消登記請求が可能であるかとの問題である。
■これに対しては、判例*6では、Gは民法177条の第三者とはならないとする。これは、そもそも、ZがXの相続の開始があったことを知った時から3ヶ月以内は、家庭裁判所に申述して相続を放棄できるとされ、その効果は、「はじめから相続人とならなかったものとみなされる(民法939条)」との遡及効であるからである。
■つまり、この遡及効を貫徹させるためには、Gを民法177条の第三者と認めるわけにはいかないし、万一、認めるとした場合には、相続財産のうち、土地甲に関してはZが利益を得る*7が、その他の相続債務は負担しないという不公平が生じるのである。<3>遺産分割に関する登記については、次のようなケースにおいて問題が考えられる。すなわち、「Xが死亡し、Xの子YZがXを相続した。そのYとZが遺産分割の協議をして、遺産のうち土地甲はYが単独で所有するものとしたが、『(1)当該遺産分割の前に、Zが甲の持分2分の1をTに譲渡していた』、『(2)当該遺産分割の後に、Yがその旨の登記をしない間に、Zがこの協議を無視して、甲につきYZの持分をそれぞれ2分の1とする共同登記をしたうえで、自らの持分をTに譲渡し、登記も移転した』」というケースにおいて、第三者Tは保護されるかとの問題である。
■遺産分割とは、遺言で禁じられた場合を除くほか、いつでも協議で遺産分割できる(民法907条1項)とされ、相続開始時に遡ってその効力を生ずる(民法909条本文)。つまりは、分割によって取得することになった財産を、被相続人から直接単独で承継するという「宣言主義」が採用されており、いったん共有持分を相続するが、遺産分割によってそれを後で相互に移転しあうという「移転主義」を日本の民法は採用していないのである。
■ただし、民法909条但書において、第三者保護規定が定められており、(1)の分割協議前の第三者は、登記を権利保護資格要件として、遺産分割の遡及効によって権利を失うことはないとされる。
■(2)の分割協議後の第三者については、判例*8では、民法177条適用肯定説がとられ、その法的構成は、遡及効を否定し「移転主義」と同様に構成されている。これは、そもそも遡及効の主眼が、分割前になされた処分の効果の否定にあり、それは最も重要な部分についての遡及効を否定していることにより、分割後も遡及効をしてもよいとの勿論解釈による。
(続きは、あとで。)

*1:各共同相続人は、その相続分に応じて被相続人の権利義務を承継する。

*2:相続人が数人あるときは、相続財産は、その共有に属する。

*3:最判昭和38年2月22日

*4:XからZへの移転登記の存在

*5:Zにすべて管理を任せていた

*6:最判昭和42年1月20日

*7:Gの差し押さえが有効になることにより、ZはGに対する債務を免れることになる。

*8:最判昭和46年1月26日