新しい時代の「公」とは

 以下は、http://www.e-demo.pref.mie.jp/map/index.php?con_no=61に投稿したもの(一部、削除または追加補足をしています。)。


◆あくまで、単なる思いつきですし、あくまで、今、考えるものなので、今後(、明日にだって)、どーなるかわからないものですけど、以下、個人的なまとめを。
■私が思うところの(極端な(!?))「新しい時代の公」とは、住民(県民、市民、NPO等)が、行政を『道具化』することなのかなーと思うトコロ。
 「今までの時代の公」は、行政が(かなりの程度の)裁量をもって、生活をより良くしてくれたのかもしれませんが、多様な主体が「公」を担うことになる場合には、そうした裁量が、逆に作用しかねない部分が大きくなるような気がします。
 そうした逆作用を防ぐためには、いっそのこと、行政活動の基準をもっともっと明確化して、その基準にそった形であれば、誰もが、公平に、公正に、行政を道具として使えるようにできないかとの考えなのです。
 なんだか、行政側から働きかけられるトコロの「新しい時代の『公』」って、行政が住民を(ボランティアという名の安価な労働力として)『道具化』する目的が、見え隠れしてそうな気がするものですから。。
 思い切って、それを逆転させたあり方が模索されるべきではないのかなーと考えているわけなのです。
 とは言っても、住民が、直接的に行政を道具化するのは、現実問題としては、ちょっとムリそうな気がしますので、この考えを実現するには、政治というものを、住民が、今よりもっと上手に活用することが、ひとつの方策になるよーにも思います。
■まっ、何を言ってんだかって気が、我ながらにしていますが、ひとつの案としては、ないこともない気が。
 だって、今だって、知事や市長、議員を選ぶのは住民であって、住民が、首長や議員を通じ、行政を道具として使っているとも言えるはずなのですからね。
 というか、それが本来の姿ではないかと。
 とすると、、、「公」を考えるにあたっては、単に「官と民」だけで考えてはダメで、「政と官と民」の関係性から考える必要もあるってことかな(、、、って、私のサイトの名称やん!?)?
◆、、、以上、独り善がりなまとめでした。。