マニフェストが政治を変える

 本日から開講した「京都政治スクール」。年末まで8回の講義があるわけですが、イロイロと刺激になることも多いと思いまして、参加させていただくことといたしました*1

京都政治スクール


 本日の講師は、前三重県知事で、現在、早稲田大学大学院教授の北川正恭さん。マニフェストの提言により、世の中に「気づき」の道具を提供したことで、タイヘン有名な方ですね。

北川正恭オフィシャルウェブサイト


(※以下は、あくまで【情トラ】の個人的なメモの概要です。講義内容及び配布資料のほか、ご本人のウェブサイト等の情報を基に、私見も入れつつ構成していますので、当然ながら私の誤解等もあると思います。ご注意ください。)

    • 「北京で1羽の蝶々がはばたいたら、ニューヨークでハリケーンが生じる。」
    • 既存のものを所与のものとして、それは変えられないと思い込むことは、本質について何も考えていないことと同義である。しかし、やはり普通の場合においては、既存のものを変えられるとは気づかないのであって、それは仕方がない。だから、「気づき」の道具が必要とされるのである。そうした「気づき」の道具のひとつとして「マニフェスト」を提言した。
    • 地方分権改革までは、機関委任事務の存在により、いわば国が本社、都道府県が支社、市町村が出張所という関係にあった。そのことが、地方自治体による国(本社)のほうばかりを向いた陳情合戦につながっていたといえる。しかし、地方分権改革後は、国も都道府県も市町村もすべてが対等な経営者となった。そのことにより、今後は、それぞれの経営策つまりは政策合戦につながると考えられるのである。
    • 今年は、市町村合併の影響もあり、450ほどの地方選挙がある。これにローカル・マニフェストを導入していくことによって、ローカル・マニフェストを掲げないと選挙にならないという雰囲気をつくりあげたい。こうした取組みが「北京の1羽の蝶々のはばたき」であって、それが国政における「ニューヨークのハリケーン」になるのである。
    • 他人に責任をおしつけるという文化(他責文化)は、ひとつの組織のままでいると、自らの立場だけを一生懸命に擁護するようになることから生まれる。それが合成の誤謬につながるのである。それを、自らの責任を明確にする文化(自責文化)となると、緊張感が生じ、本質から考えるようになるはずである。
    • 国のデザインをかえるには、法律改正が有効であると考えている。たとえば、地方分権改革一括法により、国が地方自治体に対して、法律を根拠にしない関与をしてはいけないとされた。このことにより、たとえば、地方の有志と一緒になって必要の無い補助金を提示した際に、国の省庁の局長クラスが文句を言ってきたが、そうした文句は法律に基づかない関与ではないかと反論し、そのやりとりは情報公開した。
    • 地方議会は、従来、執行部の追認機関であった。しかし、それは、中央集権がなせる業であった。分権がなされると議会の力こそが強くなるのである。それは、条例制定の動きにもあらわれてくる。
  • 【情トラ】まとめ

 講義後、質疑応答の時間がありまして、【情トラ】から次のような質問をさせていただきました。その質問に対するお答えもふくめて、いろいろと考えたことなど。

 質問は、(おおよそ)次のとおり。

 マニフェストを掲げるのであれば、当然にそれがどれだけ達成されたのかという評価(政策評価)が重要になるはずである。しかし、そうした評価については、現状においては、行政の自己評価にとどまるものではないか。また、議会がとりあげるとしても、決算委員会などで財政面を主にした評価しか行われていないと思う。個人的には、議会(特に国政においては野党)こそが評価に積極的に関与すべきではないかと思うのであるが、そのことの是非についてお教えいただければ幸いです。

 これに対するお答えは、(おおよそ)次のとおり。

    • そもそもマニフェストは、いわゆる「Plan-Do-See」という評価を前提としたサイクルを想定したものであって、評価を重要視する手法である。
    • 自己評価だけではなく、第三者評価がなされなければならないが、ビジネスとしての第三者評価は、その市場がまだまだ狭い。そこでNPOが果たす役割は大きなものになると思われる。また、早稲田でマニフェスト研究所を設置したことも同様の取組みである。
    • 評価は、議会こそが行うべきなのである。立法権をもつ議会が、立法したことを行政がきちんと執行しているのかとチェックし、評価することが本来的なあり方である。三重県知事のときには、議会事務局に有能な職員を出向させたこともひとつの手法である。
    • 監査事務に関しても、従来は、単なる財務評価をしてきたのであるが、そうしたことは情報公開をしていけば、あまり意味を持たなくなってくることになる。政策評価・行政評価といったことに主眼をおいた監査を行うことこそが必要になってくるはずである。


 以上、非常に示唆に富むお答えをいただきました。そのほかに【情トラ】が考えていることなどを補足として。
 地方公共団体においては、外部監査制度*2があるのですが、そのほとんどが、予算執行、公営企業及び財政援助団体等に関する事項をテーマとして選択し、財務全般に精通していることを主な理由として、公認会計士と契約を締結しているようです。
 しかし、普通地方公共団体の財務管理、事業の経営管理その他行政運営に関することが外部監査の対象なのであって、何も財務管理だけが対象なのではないはずなのです。だとしたら、ほとんどが公認会計士と契約を締結している現状が続くのは、いかがなものかと【情トラ】は考えているところです。
 本来、行政とは法律執行をその役割としているわけなのですから、その意味においては、もっと弁護士が「行政運営」を監査する立場に進出すべきだと考えられます*3
 また、地方自治法においては、原則として、外部監査契約を締結する対象になる者は、弁護士・公認会計士・税理士に限られています。これを行政運営に関して優れた識見を有する団体やNPOも対象となれば、一気に監査に係る市場が拡がるのではないでしょうか。このことについては、法律改正さえすれば、市場が育つことになるという、ヨイ事例となりそうな気がするところです。
■参考として http://www.soumu.go.jp/s-news/2005/050204_3.html

*1:現在、法科大学院に通っているわけですが、もともと政治・行政が専門ですし、学業に邪魔にならない程度に、というか、学業にもプラスの側面が多いと判断してのこと。あと、やはり、様々な年齢層かつ職業をもつ方々と知り合い、議論ができることは、どんなときにおいても重要なことだと【情トラ】は思います。以上は、昨年度の名古屋での経験を踏まえた感想でもあるわけです。

*2:地方自治法252条の27以下

*3:ただ、現状としては、行政運営に関する知見を有する法曹がマダマダ少ないのかもしれませんね。【情トラ】はソノアタリを狙っているわけですが。