判例の意義と役割をめぐって/園部逸夫 元最高裁判事@同志社大学法科大学院

 時間もあったので、聴講してきました。多岐にわたるお話を聴くことができたわけですが、以下に個人的に印象に残ったコトなどをメモ書きしておくことに。
※なお、あくまで、以下は【情トラ】が聴いて個人的に理解した限りでのメモに過ぎません。実際には、おっしゃられなかったコトを私が勝手に補ってマトメたところが必ずあるはずです、というか、あります(断言)。その旨、必ずご留意くださいますようお願いします。

  • 従来、判例や裁判官は、低い地位にみられていた
    • そもそも学者による判例評釈は、まず「判旨正当である」または「判旨不当である」と、いきなり採点からはじめられていることが、その一例であった
  • 現在は、日本でも判例研究が前面にでてきた感がある
  • 行政は、ある意味、一種の裁判でもある
    • (そのような実質があるにもかかわらず)行政という名のもとに自由裁量を行ってきたのではないか
    • 行政手続を、もっと司法手続のように扱うべきであろう
  • 中国では、弁護士(lawyer)のことを「律師」という
  • 中国の最高人民法院(日本における最高裁)は、下級裁判所に対して、具体的事件の提起に基づかずとも、法律問題に対する「司法解釈」を示すことができる
    • 日本における判例とは異なり、この「司法解釈」は、法的拘束力をもつ「法の創造」といえるものであるが、中国国内法の整備や裁判官の養成等が不十分である現状においては、そうした指導がなされなければならないという現実もある
  • 日本の大審院は45人の裁判官がいた
    • 民刑事連合部では45人で大合議を行い、判決言渡しの際には、45人が法廷に並んだ
    • 戦後、アメリカの制度を参考にして、最高裁は15人という構成になった
    • しかし、アメリカと違い、最高裁が審判する事件を選択する権限がないため、15人では絶対的に人員が足りなくなり、調査官制度が設けられることになった。
    • この調査官は30人ほどおり、ちょうど大審院の構成と同程度の人員が確保されていることになる
  • 最高裁判例は、調査官による判例解説をワンセットで読んでもらわないと、本当は(その内容が)わからない
  • 最近の補足意見の白眉としては、小田急高架化訴訟におけるもの
    • (園部氏が)原告側の鑑定意見書を作成したからというわけではないが
    • 多数意見、補足意見、反対意見をそれぞれ読んでもらえたらよい
    • 平成17年12月7日 大法廷判決 平成16年(行ヒ)第114号 小田急線連続立体交差事業認可処分取消請求事件
    • これは、ドラスティックな大法廷判決といえるが、行訴法の改正を受けたものでもある
    • ただし、それまでに判例が積み上げてきたものが、法改正につながったともいえる。従来のように「法律ありき」で判例が出されるだけではなく、このように「判例の積み重ね」により国民の意識を反映し、それが法改正へとつながることも必要ではないか
  • 判決には、主文と理由のほか、補足意見、意見、反対意見が示されることがある
    • 補足意見とは、多数意見に賛成であるが、その理由につき付言するもの
    • 意見とは、主文に賛成であるが、その理由について見解を異にするもの
    • 反対意見とは、多数意見に反対で、主文及び理由について見解を異にするもの
  • (園部氏は)京都大学法学部助手→助教授→裁判官というキャリア
    • 学者と実務家で最も大きな違いは(、後者は、原告か被告の)どっちかに決めなければならないこと
    • 判決文であれば、必ず主文がある。これは、非常に苦しいし、難しい
    • はっきりとした自信とその背景(基盤)を築くことが肝要であろう


 このほかにも盛りだくさんの90分講演だったのですが、とくに「(【情トラ】が理解した限りにおいては)行政手続を、もっと司法手続のように扱うべきであろう」との考えは、従前からの【情トラ】自身の問題意識(ちょうど昨日のエントリでも個人的memoとして掲げている内容でもアリ)と重なるところでもありました。この問題意識は、もう少し敷衍させて論考をまとめておこうかな、と思っているのですけど、ね。