「ウェブ時代をゆく」

 

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

 先般のキャンペーンの結果,お送りいただいた著者サイン本。さっそく開いてみると,なんだかサインペンのインクの匂いがして,よい感じ。いつも書籍を買うと,帯とカバーは直ぐにゴミ箱行きであるところ,id:umedamochio さんが微笑んでいる本書の帯とカバーは,「さすがにもったいないかも」なんて思ったりもして。


 細切れ時間を利用し,取り急ぎ読了したので,その感想などをつらつらと。あくまで整理し一般化しようとするような書評ではなく,まったく個人的で主観的なものにすぎない感想です。


 本書は,「では明日からどうしたらいいの?」という疑問に対する「前例のない時代を生きるヒント満載」と紹介されているように,たとえば「自らの『大組織適応性』という資質に自信が持てない」「タイプの人は,『その会社から吸収できることをすべて吸収し,(三十歳から四十五歳)の十五年間のできるだけ早い時期に辞める』というビジョンを持って生きるべきだと思う」などといった提案が記され(たりもし)ている。
 こうしたヒント・提案から,一般的には,「こんな生き方もあるのか!」と発見する読者が多いと思われるところ。もっとも,私が感じたことは,それとは違い,「そうそう,こんな生き方してきたなぁ。」と,自らの生き方を顧みて共感する読者も,少なからずいらっしゃるのではないか,ということである。


 なぜ,私がそのように感じたかといえば,それは,本書に,私自身の過去・現在・将来をそのまま書き記せるような表現があったことに基づく。具体的に,それらを本書の表現を借りて書き記してみれば,次のとおりになる。

  • 過去,「大きな組織」に勤め,「吸収できることをすべて(可能な限り)吸収し」,そのうえで,当該大組織を「早い時期に辞め」た*1
  • 現在,法科大学院において「学習の高速道路*2を疾走するかのようなスピードで」学んでいる。
  • 将来,「『その道のプロ』寸前での大渋滞」を抜けて「弁護士にな」り,そのうえで,「自らの志向性を強く意識し,『好きを貫く』こと」で,「道標のない『けものみち*3』を歩いてゆく」ことを目指している。

 私にとって,こうした本書の表現をそのまま使えるような「過去・現在・将来」は,確固たる信念を持ったうえでの選択の結果である。もっとも,このような「過去・現在・将来」を機会がある毎にお話させていただくと,良い意味でも悪い意味でも驚かれる方が多いことが,私の経験上の事実であった。それゆえ,こんな仕事のあり方,人生のあり方を実践する人は,存在することは存在するのだろうけど,それ程の数は未だいないのかも,などと思っていたものである。
 しかし,本書に記された数々のヒント・提案を読むにつれ,そして,私がまだまだ拙いながらも既に実践してきたこともあると感じるにつれ,これらのヒント・提案を既に実践している(してきた)人は,私が思っていたよりも,はるかに大勢の人びとがいらっしゃるのだろう,と考えた次第である。
 仮に,本書を読んで自らの生き方を顧みて共感した読者がいらっしゃるとして,その働き方,学び方,生き方に関する「オーラル・ヒストリー*4」の作業がなされたならば,それはそれは興味深いものになるだろうなぁ,などと考えたりもした次第である。


 なお,「けものみち」に対する個人的見解として。「けものみち」は,「高速道路」のように整備されてはいないし,「道標」もないものなのであろう。しかし,だからといって「けものみち」は,決して何も見えない真っ暗闇のなかを突き進むものではないと思う。つまり,「『けものみち』を歩いてゆく」という「志」さえあれば,それが,ふと空を見上げたときの「北極星」となるはずであろうから。


 あと,「大きな組織」のあり方について,まさにパブリックな主体であるところの「行政機関」に関して,いろいろと考えたこともあったのですけど,それは,また,別の機会にということで。

*1:より正確に言えば,吸収できることを可能な限り吸収し,早い時期に辞めることを想定したうえで,大きな組織に勤めることとし,そのとおりに行動した。

*2:法科大学院制度が「高速道路」といえるか否かは議論が分かれるかもしれないが,少なくとも,私が通っている法科大学院は「高速道路」と評価しうると個人的に考えています。

*3:弁護士の職域として,ほとんど未開拓の分野

*4:「oral history」 参考として, http://www.fcronos.gsec.keio.ac.jp/wp2003/wp03_004.pdf など。