“政策”策定プロセスへの参加のデザイン

 NPOや行政の現場、そして国会まで様々なバックグラウンドを持つパネリストのみなさんの話(以下、あくまで【情トラ】管理人の個人的なメモです。事実誤認等があればゴメンナサイ。)。

 とりあえず、印象的なものをいくつか箇条書きで。

    • 参加して、自分が述べた意見が現実になるとすると非常に“愉快”な気持ちが得られる。
    • その“愉快さ”をどう広げて、多くの参加を得ていくかということについては、ひとが集まっているところにその情報を届けていく必要があるのではないか。
    • 全ての人が参加するということはムリ。まずは手をあげてくれた人からつながりができれば。
    • (行政から)参加を促進しようとしても、ヒト・モノ・カネ・テマがかかるため、現実としてはシンドイ。しかし、それを補って余りあるものが必ずあるはず。
    • 参加したら、そのフィードバックを求める気持ちが生じるのは当然。もし、フィードバックがなかったら、プレッシャーをかけることもアリではないか。
    • 単にルールだから守らなければならないというのではなく、そのルールに関わる人々がきちんと納得して合意のあるルールであることが大切ではないか。


■【情トラ】管理人まとめ/以下は、【情トラ】管理人の個人的な思いに基づくものですよ。
 『市民の積極的な参加による社会づくりが多方面で求められています』というパンフレットの一文にあるように、現状において、様々なかたちで「市民参加」という言葉を聞く。しかし、その参加をどのようにするか、どのように呼びかけるか、といった具体的なデザインがあるのかといったら、【情トラ】管理人にはよくわからない。ただ、サイトにも書いたように、『「住民」と「行政」と「政治」との対話は、その中間に立つ交通整理役がいれば、相互に理解しやすくなり、結果として議論の質が高まるのではないかと考えます。』との思いから、そうした一種の橋渡し的な役割はぜったいに必要とされるとの考えを有しているだけである。そうしたなか、このシンポジウムは、【情トラ】について、ある整理をしてくれた(ような気がする)。
 それは、参加の「きっかけ」をどうデザインするか、ということに関連する。思うに、市民参加するきっかけには2種類あるんじゃないか。ひとつは、自分が住んでいる家の前に高層マンションができる計画が策定され、自らの住環境を維持するために、とにかく「どうにかしなけれなけばいけない」という「きっかけ」。これは言うならば「巻き込まれ型」のきっかけである。
 対して、今すぐに「どうにかしなければならない」問題ではないけれども、やはり「無視はできない」問題に対して、「私的な関心(←たとえ本人が社会的使命だと考えていたとしても、やはり私的関心であるともいえるのではないか)」による「きっかけ」。これを称すると「巻き込み型(となりうる)」きっかけである。
 前者の「巻き込まれ型」はまさに巻き込まれるのだから、参加するのしないのの問題ではない。参加せざるを得ないものである。しかし、後者は違う。あくまで「私的関心」から「無視できない」とするから、参加するのであって、「無視する」としてしまえばそこで終わりなのである。「無視できない」と思う場合は、その問題に関して、ある程度の専門的な知識や実体験等をもっていることが多い(と思われる)。逆にいえば、専門的な知識や実体験をもっているからこそ、口出ししたくなるのではないか。そして、個人でできることに限界を感じた場合に、同じような私的関心をもつ人を「巻き込もう」と考えるのである。
 箇条書きにまとめたところに「参加して、自分が述べた意見が現実になるとすると非常に“愉快”な気持ちが得られる」とあるが、これはまさに「私的関心」が「私的満足」につながったものであろうし、同様に「全ての人が参加するということはムリ。まずは手をあげてくれた人からつながりができれば」とあるのは、これも参加が巻き込まれてなされるタイプのものではなく、「私的関心」に訴えて「巻き込む」タイプに分類されるものであろう。
 さて、ここで【情トラ】であるが、これは「巻き込み型」の分類に入る。【情トラ】管理人は、(学問専攻や職業上)いろいろと知識を得るなかで「私的関心」をもち、すこしでも「巻き込み」たいと思ったからこそ、【政・官・民の情報トライアングル 】というサイトを始め、運営を続けている。こうした認識はバクゼンとは抱いていたものだが、今日ほどハッキリと思ったことはなかった(と思う。。)。そして、「巻き込み型」だからこそ、こちらからアクションを起こさない限りは、誰も「巻き込まれ」てくれないということも改めて認識させてくれたわけである。
 と、まあ、他のみなさんからみると、自明のことやんけーと思うかもしれないことだけど、個人でやっていると今日みたいに自らを見つめ直す「きっかけ」ってあんまりないよーな気がするんですねぇ。という意味で自戒をこめて、今日のまとめとしまっす。