法的決定の特質と職業的法曹の存在意義(その2/改善版)【京都】

【1】
■筆者が言う「合意達成問題」とは、民主主義の基本とも言える、人々の合意こそが正解をつくり出す問題である。対して、「正解発見問題」とは、人々がどんなに合意したからといって正解を産み出すものではなく、絶対的真理として正解が既に存在する問題である。
■法的決定は、この2つのうちどちらの問題であるのか判定が困難な場合になされることが多いといわれる。つまり、絶対的真理としての正解が既に存在するとは言い切れないものであるから、人々が合意することにより正解をつくり出さざるを得ないのであろう。しかし、そうだといっても、単に詭弁や口先だけの理由でもって合意されることも、後に続く決定や行動に悪影響を及ぼすために避けられなければならず、存在するであろう普遍性の要求、正解の発見のため努力されなければならないのである。
■それゆえに、筆者が考える法的決定の特質とは、「正解」を求めて論じることを通じて、人々の真正な合意を達成するものだと解されるのである。


【2】
■筆者の理解によれば、法は正義感覚と関連づけられるため、公開性・普遍性・公平性などの要求に従い、職業的法曹が独占的に法と正義に関わることが大きな矛盾となって、職業的法曹の存在意義を否定することにもつながる。
■しかし、職業的法曹の存在意義を否定した場合に訪れるものは、単なる利益主張のぶつかり合いだけではないだろうか。たとえば、自分が求めていた判決と異なった判決が出された場合に、自らの主張だけを通して「不当判決」との評価を乱発することになれば、司法制度と法が有する権威の低下につながる。自分が必ずしも賛成していない相手の規範的世界の中で、一定の結論を正当化したり、自分の利益を権利として相手が認めるべきことを主張したりする議論を経た判決であるならば、それに従うというルールでありマナーが前提であるからこそ、裁判は社会に権威あるものとして認められるのである。そして、そうしたルールやマナーを共有することこそ、職業的法曹に求められることであり、司法制度と法の権威を作り出すためにも、それに従う者として職業的法曹の存在意義があるといえよう。
■また、筆者は、国民的教養としての法学教育が必要だとするが、国民の誰もが裁判における判定能力を持つようになれば、なるほど職業的法曹の存在意義はうすれるかもしれない。しかし、国民の誰もが常時司法に従事することは不可能なのであって、職業的法曹が存在するからこそ、一定の質を確保した司法制度が維持され、国民への法学教育も可能となるといえよう。
■そして、筆者は、「官から民へ」という規制緩和の流れの中、社会の中で官僚が果たす役割は相対的に縮小するとも言う。ここでは、そのスローガンのとおり、民間企業やNPOなどの活力が重視され、一見、職業的法曹の出る幕はないかに思われる。だが、従来、官僚が担ってきた垂直的指導役に代わって、職業的法曹が水平的調整役となる場合が増えるといえるだろう。
■以上のように、職業的法曹は、行政や立法と同様、国民主権を実現するに従事しなければならないのである。国民が統治の主体であり、個人の基本的権利の尊重こそが憲法の命ずる基本原則であることを鑑みると、そこに職業的法曹の役割があると解することができるのである。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jalp/j/JudiciaryReform.pdf