成果主義と日本型年功制【L】

【1】
■筆者のいう「日本型年功制」とは、給料で報いるシステムではなく、次の仕事の内容と面白さで報いるシステムのことである。それゆえに、これが繰り返されると、仕事の内容に加速度的に差がついてくることになり、昇進・昇格・昇給も同様に差がついてくる。この「日本型年功制」は、単純な「賃金による動機づけ」とは全く異なるものであって、後者は何ら科学的根拠の無い迷信だが、前者は内発的動機づけの理論からすると最も自然なモデルといえる。つまりは、日本型の人事システムの本質は、「賃金による動機づけ」にあったのではなくて、筆者が言うところの「日本型年功制」にあったのであり、っして、これこそを復活・再構築すべきなのである。


【2】
■筆者は、(1)客観的に成果を測ろうと努めること、そして、(2)成果とされるものに連動した賃金体系で動機づけを図ろうとすることを批判すべき「成果主義」と主張する。それは、(1)は基準が客観的ゆえに「低めの目標」、「採算度外視の行動」といったマイナスの副作用が生じるという理由に、また、(2)はほとんどの人が給与と仕事の中身では「面白い仕事」をとるという理由に基づくとされる。
■こうした筆者の「成果主義」への批判には一理あり、「成果主義」の導入を否定することも可能かもしれない。しかし、私は、そうであっても、日本における「成果主義」の導入を進めるべきと考える。それは、次に掲げる理由に基づく。
■まず、筆者の批判する(1)については、(ア)企業内部の評価ではなく、企業外部から当該企業を評価するとき、客観的基準が絶対に必要であること、そして、(イ)主観的な評価では、いわゆる情実人事がまかりとおることになりかねないことが挙げられよう。(ア)に関しては、今日、経済活動を行うにあたって、一企業内で完結できることなど存在せず、外部からの視点に配慮しなければならない。そのときに必要とされるものこそ、国際的にも通用するような客観的基準なのである。(イ)に関しては、俗に言う「実力の伴わない二世社長」などを、その一例にあげることができよう。
■そして、(2)については、従来は様々な仕事をこなせるジェネラリストが重用されていたが、今後は各々の産業が高度専門化していることにより、一つの分野に秀でたスペシャリストが重用されつつある。そのため、次の仕事の内容を動機づけに使えない事態が生じるのである。そのときには、やはり「賃金による動機づけ」を行わざるを得ないといえるだろう。