少子・高齢化の進展を悲観すべきではない【成蹊】

■1つ目の労働力不足については、全体人口の減少と高齢者人口の増加が、労働人口の大きな現象につながり、資源に乏しい日本にとっては、国の危機だという考え方がある。しかし、私は、この高齢者を労働力とみなさない見方自体が誤っているものと考える。
■なぜなら、現在の高齢者は、平均寿命も延び、従来に比べて健康であって体力もある。そして、それだからこそ、労働意欲も持ち合わせているといえよう。また、NPO等のいわゆる利益追求を行わない公益部門に進出する、高い貯蓄によって余裕を持ったリタイア後の高齢者が増えてきている現状もある。さらに、雇用する側の企業のほうも、定年とする年齢の引き上げや定年後の再雇用の促進などにより、高齢者の労働力に期待するところとなっている。これらの理由により、労働力不足の議論は杞憂に過ぎないと考えているのである。
■2つ目の財政上の危機については、生産人口世代の負担が増えつづけることにより、とても高齢者を養っていけなくなるという考え方がある。しかし、私は、果たして高齢者が養われる側だけだといえるのかに疑問を感じる。
■たしかに、収入が途絶え、医療費もかかるという高齢者は、年金等により国の政策による再配分を受ける側となると考えられよう。しかし、余裕のある老後を暮らしている層は少なからずおり、それらの人々は国による扶助を必要とせず、自立できるといえるのではないだろうか。財政上の危機に対しては、「官から民へ」とのスローガンのもと「小さい政府」を目指した改革がなされつつある。そこでは、国家による集権的再配分ではなく、市町村単位での相互扶助のネットワークが築き上げられつつある。いわゆる地方分権の試みにより、多様な実験が地域ごとに行われ、活力が出てきている事例もある。こうした地域の取組みにより、財政上の危機は乗り越えられると考えているのである。
■3つ目の若年人口の減少による文化・技術の衰退については、若年労働力こそが新技術の担い手だという考え方がある。しかし、新技術の担い手は、何も多くの人数が必要とされるわけではない。そして、文化に関しては、その担い手が若者でなければならないということはないと考える。
■そもそも独創的なアイデアというものは、一個人の発想をもとに紡ぎだされることが多い。現在、世界に名だたる大企業であるマイクロソフトにしても、ビル・ゲイツ個人の力量に負うところが大である。そういったことを鑑みると、多様な発想や挑戦を許容する社会づくりさえなされれば、新技術は生み出されるものと考えられる。また、文化の担い手については、やはり伝統を踏まえることからも経験がものを言う分野であるといえよう。そして、その文化を支える側についても、精神的な余裕を持ち、人生の喜怒哀楽をたくさん経験してきた高齢者であることが多いといえるのではないか。このように考えると、技術も文化も大勢の若者に左右されるものではなく、たとえ若年層が少なくなろうが、衰退していくものではないと考えられるのである。
■以上のように、3点から少子・高齢化に対する不安に対しては、楽観的な見解を持っている。私が思うに、大切なことは、ただただ少子・高齢化を諸悪の根源のようにみなし、いたずらに不安視することではなく、そうした事実は事実と踏まえたうえで、冷静に論理的な対応策を練ることではないか。私の楽観的な見解が、その対応策のヒントのひとつにでもなれば幸いである。
75歳現役社会論―老年医学をもとに (NHKブックス) 75歳現役社会論―老年医学をもとに (NHKブックス)和田秀樹