裁判員制度【立教】

■立法や行政、司法は、いずれもが国民主権基本的人権の尊重といった重要な価値を実現する役割を持つ。ただし、前二者は本来的に人一般を対象とするため、基本的に「多数決」に基づいて、国民の意思決定を行い、ルールを制定し、執行することを任とする。これに対して、後者は本来的に具体的状況下にある個別的人間を対象とするため、その「多数決」の結果が正しい判断とは限らないとの考えのもと、基本的に「少数意見」を尊重して、国民の権利・自由の保障を最終的に担保することを目指す。
■このような「立法や行政、司法の役割の違い」に対して、それぞれの担い手にも違いがある。普通の市民は専門知識を持たないながらも、多数意見を形成する主体である。対して、専門家は専門知識を持ち、たとえ少数派になったとしても正義の実現を図る主体である。つまり、立法や行政は「多数決」に基づくという原理ゆえに、普通の市民を中心的担い手とし、司法は「正義」の実現という原理ゆえに、専門家を中心的担い手としているのである。
■具体的には、立法担当の議員は、普通の市民による選挙で選ばれる。また、行政担当の官僚は、普通の市民の声を反映させて事務を執行する。対して、司法担当の裁判官、検察官、弁護士は、法に基づく合理的解決を図る専門家であり、各個々人の法的利益の実現を目的とする。司法が普通の市民の声ばかり反映させては、立法・行政・司法の三権を分立させている趣旨を害する恐れがある。こうしたところに「専門家と普通の市民の役割の違い」があると言うことができよう。
■今般、裁判員制度が導入される。これは、司法が重要な国家権力のひとつであるにもかかわらず、専門家だけにその役割を任せていることが国民主権に反するとの反省によると考えられる。また、専門家である法曹は、お互いに個別案件で対立しながらも、ある意味専門家同士という馴れや甘えがあったともいえる。それが、普通の市民が司法に入ってくることにより、内的緊張を維持する趣旨を含んでいるとも考えられる。つまりは、「裁判において、専門家同士の対立を素人が決めること」には、司法分野における国民主権の実現及び専門家集団の馴れ合いの排除という意義があるのだ。
■しかし、専門家ではない素人が裁判に参加して判断の一翼を担うことには問題点もある。特に専門知識がないという気後れゆえに、重い量刑判断を避けたり、そもそも有罪判断を行わないことが考えられる。また、逆に、世間の声やマスコミ報道などに過剰に反応して、不当に重い量刑を科そうとしたり、無理やり有罪判断することも考えられる。これら問題点を取り除くためには、専門家である法曹の公平で的確な協力が必要であるし、司法に関する基本的素養を育む普通の市民への教育制度の整備が必要であるといえよう。