生命倫理/科学技術/法/民主主義【I】

問1
■現代においては、科学技術が発達したことにより、従来からの生命倫理に同様がもたらされることとなった。そして、この両者の調整を、法が規定することによって求められているのである。
■この科学技術の発達がもたらす生命倫理の動揺とは、たとえば、次のようなものである。脳裏状態のドナーからの臓器移植医療は、それまで人の死は、ほとんどの人が心臓死であると考えていた常識を覆すようなものである。また、クローン胚の技術は、人間は他の誰でもない1人の人間だという常識を揺らがせるものである。つまり、科学技術の発達は、今や人びとの文化的・歴史的背景をふまえた生命倫理を超えたレベルに達してしまっているのである。
■しかし、そうした生命倫理を科学技術が超えてしまったからといって、その科学技術の発達を止めさせるべきなのかとの問いには、従来からの生命倫理を絶対視する必要はないと答えられよう。なぜなら、科学技術の発達がもたらす恩栄は計り知れないものがあるからである。だが、だからといって、科学技術の発達が何にも妨げられないわけではないことも確かである。なぜなら、あくまで科学技術を用いるのは人間であり、その目的が人間の幸福にある限りは、その人間が有する生命倫理を無視して、人間の幸福を阻害するような科学技術の発達を追及するわけにはいかないからである。
■このような科学技術と生命倫理の間の調整を解決するためには、それぞれの論点を公正公平に検討していく態度が求められる。そして、その結果として、法による厳格な定義なり、基準なりの制定が必要となるのである。これは、法の成立が一部の者の専断ではなく、多数の国民の代表者によること、また、法によるルール化が国民に対して明確な規範の提示になることという2つの要請が必要だからだということができよう。


問2
■現在において、科学技術とは単に科学と技術という範囲に止まらず、より広いより現実的な社会科学的理論建設にまで進むべきものと考えられる。つまりは、世代を超えた観点、世界的視野をもって、持続可能な政治経済システムの建設に資する科学技術のあり方が求められているのである。
■このことは、逆から見れば、科学技術のあり方によって、社会構造が決定することを意味する。たとえば、爆発的な情報技術の発達は、インターネットの普及における問題点としても指摘されるように、ひとりひとりの個人情報が本人の意図しないところで、たちまちのうちに至るところに漏洩する可能性がある。そのため、人びとは、従来は気にすることすらなかった自らの情報を自らでコントロールする権利を主張し、それが社会のあり方にも大きく影響を与えることになったのである。
■こうした例から考えると、科学技術のあり方に対して、社会の中に生き、暮らす人びとの意思を反映させる必要が生じてくる。なぜならば、そうした民意によるコントロールがなければ、科学技術というものは、一般の人の人知を超えたところにまで発達し、それが社会構造に莫大な悪影響すら与えかねないからである。
■すなわち、社会に大きな影響を与え得る科学技術は民主主義に基づく判断に常にさらされなければならない。だが、この民主主義に基づく判断は如何にして行われるべきであるかについては、専門家の批判的観点が重要となる。なぜならば、一般的に新たな科学技術を導入しようという側は、当該科学技術の長所ばかりを強調することが多い。そして、一般の人びとは、専門知識が乏しいゆえに、その長所のアピールのみに従ってしまいがちだからである。
■しかし、常にそうした多数の一般の人びとの意見が正しいとは限らない。冷静に公正公平な眼で専門家が当該科学技術を評価してこそ、他の多くの一般の人々も自らにとって適切な判断を下せるのである。一面的ではなく多面的な検討に基づく決断を下すためには、専門家の客観的な意見が重視されるのである。