小泉内閣の評価 〜日本のポピュリズムと新自由主義的改革〜

 平成16年度政治・文化セミナー第2回(主催:京都市・区明るい選挙推進協議会、京都市・区選挙管理委員会)。京都大学法学部教授 大嶽秀夫 氏の講演を聴いてきました。いや、他の予定をうっちゃって聴きにきてヨカッタです。
※以下は、あくまで【情トラ】の個人的なメモです。事実誤認があるかもしれませんので,その旨ご注意を。

  • 戦後日本政治の転機としての1975年

■戦後30年が経った1975年は、3つの意味で大きな節目であると考えられる。
■その1つめが「防衛問題」。それまでは、「再軍備」や「日米安保」を軸として、自民党社会党憲法体制をめぐって対立していたのであるが、実際は誰もどこからも攻めてくることがあるとは思っていなかった。なぜ、防衛問題がとり上げられていたのかというと、まずはアメリカからの圧力であり、また、ナショナリズムを鼓舞するために軍隊をつくっていたという教育政策的な側面があったからである。実際問題として、防衛費の半分は人件費であったし、アメリカの圧力で最新鋭の兵器を購入しても、武器を外したり、燃料を購入しなかったりという状況であった。
■それが、70年代中盤からソ連の軍拡が進み、問題が、日本の防衛から自由と民主主義を守る西側諸国の防衛に変質していった。この象徴が「防衛を考える会」の設置であり、ここにおいて「GNP1%枠」や「基盤的防衛力=拒否力」といった考え方、そして「防衛白書の発行」が検討され、実現されていったのである。このことは、冷戦が終わったあとにも地域紛争が絶えないことから、世界平和のための国際貢献という考え方にもつながっていく。従来の「単なる日本国内における軍事vs非軍事」の対立軸が全く機能しなくなったのである。
◆そして、2つめが「スト権スト」。これは、73年におこったオイルショックにより30%のインフレが起きたことに対し、労働者団体の要求により74年に33%の賃上げがなされたことに起因する。この余勢で、75年11月26日から12月3日まで、公労協がストライキ権を求めて統一ストライキを行い、国鉄国労動労も参加したため、国鉄の列車はほぼ全てストップした。
◆しかし、当時の自民党幹事長であった中曽根康弘氏は「スト権スト」に断固戦うとして、大型トラック2200台を動員できる物流体制などを準備し、結果として、特に混乱もなく終了。労働者側が不当な要求をする「納税者の敵」だとの認識が形成されることにもつながった。これは、そうした労働者団体を大きな支持基盤とする社会党にダメージを与える意図もあって、政府・自民党が対応したとされ、実際に国鉄の地位低下を象徴した。
■3つめが「政治腐敗」である。これは、75年からのロッキード事件が大きなものである。そのスキャンダルに対する反発が、翌年76年の総選挙で「新自由クラブ」を躍進させ、選挙結果を左右したといえよう。
■こうしたスキャンダルや政治不信に対する反発は、その後も突発的に登場し、リクルート事件と消費税導入を受けた89年の「社会党のマドンナ・ブーム」、東京佐川急便事件や金丸氏脱税事件を受けた93年の「日本新党」の躍進、森喜朗首相(当時)の低支持率を受けた01年にの「小泉純一郎(・田中眞紀子)ブーム」 につながるものである。

◆上記3つのうち、特に政治的信頼に関していうと、これは世界的に低下傾向にある。ただ、日本の特徴として、政党ではなく、ある特定の政治家のキャラクターに注目して、そのクリーンさを重視することにより、政治的信頼を集める者が登場するというポピュリズムがみられる。スキャンダルを悪とし、クリーンさを善とする「善悪の戦い」とする上述の4つのケースがまさにその例である。これらの突発的な政治的信頼は、主に大都市の比較的豊かであって、政治が生活と直接的にはほとんど関係ない中間層が支持の基盤となっている。そのため、政策の中身は特にこだわらず、「とにかく悪いことをやってくれるな」ということで選んでいる側面があるといえよう。
◆ただ、政党ではなく、特定の政治家個人への信頼であるために、その熱が冷めれば、短期の支持に終わってしまうのも特徴といえる。さらに、日本においては、政治家となるにはあまりにもリスクが大きく、資金も要するために、新たな勢力が政治的信頼を集めたところで人材が集められずに、一大勢力となれない(新自由クラブ日本新党はその典型)という背景もある。
■こうした問題点を改善するには、どのようなことが考えられるか。ひとつ注目されるのは、地方自治体における首長制(=大統領制)である。これは、候補者が1人だけでよいという利点があり、一個人が政治的信頼を集めることだけで首長となれるものであって、東京の青島幸男石原慎太郎、大阪の横山ノック、長野の田中康夫などの多くの例がある。しかし、国においては、憲法改正を必要とするために、近い将来においては実現する可能性が高いとはいえないだろう。
■その他考えられるのは、政治家になるリスクをより小さくすることである。たとえば、歳費をあげたり、年金を保証したり、秘書の数を増やすなど、お金をかけてでも「政治家を育てる」こととしなければならないのではないか。現状の個人後援会中心の政治家のあり方ではなく、政党に就職するといったイギリス型のあり方も考えられるところである。