「ガンダムから考える。固有なものとは何か?」 富野由悠季 氏

 京都精華大学アセンブリーアワー講座 富野由悠季(アニメーション映画監督) 「ガンダムから考える。固有なものとは何か?」(2004.11.25) に行ってきました。

 14:40からということだったので、20分前ごろ着けば大丈夫かなと思って行動したのですが、その考えは全くもって甘かったことを叡山電車を下車して知ることに。並んでいました、大勢。やはり、ガンダムというネームバリューの凄さ、御大・富野監督*1のお話を聴きたい方がたくさん来たということでしょう。かく言う【情トラ】もどんなお話が聴けるか、期待しつつのアセンブリーアワー初登校です。

※注 以下はあくまで【情トラ】の個人的なメモを、【情トラ】の理解したところを簡単にまとめたです。お話を再現しようとしたものではありません。また、私の理解不足や事実誤認などもあるかもしれませんので、その旨ご注意を!


■まずは、自己紹介。「テレビ漫画の仕事をさせてもらっている富野です。」そして、本日の講座について。「本日の話は、ガンダムの話なんかじゃなくて、めんどくさい話。しかし、これはアカデミックにやりたいというオジサンのかっこつけなんで、退室しても結構です。」との前置きから始まりました。

◆「技術は、個性を殺す」ということ。これは、マトリックス以後、アニメでも顕著になっている傾向である。つまりは、CG屋にだまされているだけではないか。CG表現のなかに「固有なもの」があるとは思えないのである。この「固有なもの」とは、特別なことであり、個性があることをいう。確かに、技術がなければ表現はできないが、ただハードウェアに振り回されているだけで、個性がない。また、CG表現が新しい表現になりうると思っている人もいるが、ファイナルファンタジーなどは、バカなやつである。いや、それでも、ああいったものがいいという人がいるならば、それはそれでいいのであるが。

■みなさんが、これまでに受けていた教育に、おそらくは「個性を伸ばそう」という趣旨のものがあったと思う。しかし、普通の人には個性はない。もし、本当の個性があるならば、10代のうちに才能を現して、有名になって、金儲けもできているはずである。そうじゃないから、ここにいるんでしょ。そのことに自覚がないことこそ問題である。是非とも自分がつくづく嫌になるという切り口を見つけて欲しい。大概の場合は、見つけられないのではなく、見つけようとしてないだけである。適当に、気分で、過ごしていると何にもならない。周りの人はグータラなんだから、ちょっとだけ頑張ればよいのであるから。

◆その努力は、自分にないものをもっているらしい人のマネから始めればいい。その意味では同好の士、仲間は大切である。ただし、仲間をつぶしてオレがトップになるんだという気持ちを持つべき。いい仲間は、いい踏み台になるのである。このことは逆にいえば、いい仲間のいい踏み台になることも大切なのだ。

■「智慧の実を食べよう 学問は驚きだ」という本において、岩井克人氏が、次のような話をしている。「(経済の話として)低賃金で商品をつくって利益をあげていた時代は終わった。これからは人間の固有なものに価値が生まれて、それで利益をあげるしかなくなる時代である」と。この考えは、確かにそうだと思うものである。だからこそ、固有なものを持てたとしても、自分で持っているだけではなく、それを第三者に認められないと意味がないのである。

ガンダムが25年経った今でもその名前が残っているのは、なぜか。そもそもは、おもちゃ屋の宣伝番組であり、1年間続けることと戦闘シーンを描くことは、制作費を生活費を得るために最低限行おうと考えてはいた。しかし、ガンダムの場合は、それまでに手がけた作品と違って、そのうえに「今度は映画をつくるぞ」との意気込みがあった。昔から子ども向けの映画というものが嫌いで、それはナゼかというと、「所詮ガキのもの」という意識でつくられ、理解する以前の問題で、「物語」がなかったからである(ゴジラなんて、そうしたものの例である。)。子どもがみてもわかるような映画=物語をつくりたいと考えたのがガンダムである。

■映画とは、「動く画」と「音」で説明してくれるものであって、難しい漢字とかがないから、子どもも大人も楽しめるものである。あとは、それにみあった「物語」をつくることが必要となる。ガンダムでは、合体シーンと戦闘シーンは「おもちゃの宣伝」として欠かせないものだったが、それらを抜いたら、きちんと話が通るように構成した。

◆もともとは、SF、ロボットはわからないし、素養がないと思っている。だから、とりあえず、その頃仕入れた知識であるスペースコロニーを舞台にすれば、話の内容はSFでなくともSFっぽくみえるぞ、と考えた。物語というものは、嘘八百の世界であるが、それだけにその世界を支えるリアリズムが必要となる。たとえば、その物語にあった仕草などをちゃんと考えて表現しなければならないのである。

■「物語」で一番大切なものは、「普遍性」である。神話にしろ、伝説にしろ、口伝で残っているようなものは、そうした何か「普遍性」があるのだろう。ただただ私の気持ちをわかって下さいという物語は、長く残っていくか疑問である。そうしたものが多い現状にあるとも感じている。

ガンダムが一種の産業になっていることについては、金儲けができるんであればいいじゃねえか、と思っている。確かにモノの価値が実際と比べて過大になることは良いことではない。モノの表層にだまされて、その核を見逃したらダメだろう。金は不要だとはいえない。手に入れる金に対して、きちんとペイできるものを提供することが大事なのである。

Zガンダムの登場人物が、言わば人格障害ともいうべきものになったのは、ロボットに乗る主人公が気が狂わないわけがないという思いからであるが、自分がそういうふうになる自覚があったからでもある。やはり、時流にのると歪んでしまうものがあるわけで、コクドの問題然り、三菱自動車の問題然り、社会も歪んでいるのではないか。それでも、人は死ぬまで元気でいないといけないわけで、「元に戻る」自分を考えて、∀ガンダムなどをつくった。


◆おおよそ、以上のようなお話がありました(※再び注記ですが、以上は、富野氏のお話をそのまままとめたものではありません。【情トラ】の個人的メモをもとに【情トラ】の理解のもとまとめたものですので、ご注意ください。)。いや、パワー溢れてます。「固有なものとは何か?」とのテーマから、一貫したお話と映画に対する姿勢をみせてもらいました。そのなかで、最も【情トラ】の心に残ったご発言は次のとおり。

 宮崎駿氏に関する話のなかで、、、



「オレ、やっぱりアカデミーほしいもん!」


 有意義な時間、アリガトウございました。

*1:並んでるときに、近くにいた方がおっしゃっていた呼称