NPOと社会変革

 本日の講師は、岡部一明 東邦学園大学経営学助教授。アメリカはサンフランシスコで住んでいた経験があるとのことで、そこでの取材等を通じて得たアメリカ・レフトコーストにおける市民活力についてご紹介いただきました。
■ サイト http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/
■ 参考図書 サンフランシスコ発・社会変革NPO


(※以下は、あくまで【情トラ】の個人的なメモです。講義内容及び配布資料等の情報をもとに、私見も入れつつ構成しています。)

  • NPO等の活動が果たす役割」

 冷戦が終わった後、世界を支配するような巨大国家アメリカが生まれてしまった。このアメリカの大きな力をコントロールしていかなければならないと考えられるが、その方法は、ひとつが国際秩序のなかで抑制していくこと。そして、アメリカ国内から権力をチェックする方法である。この(アメリカが多民族社会であることに由来する)NPOの活発な活動こそが、最も現実的で効果的なチェックを働かせられると認められるだろう。
 アメリカ/サンフランシスコ圏(レフトコースト)は、アメリカの中でも、特に多様な人種構成になっている地域であり、NPOの活動が非常に盛んであって、先進的な活動も数多くみられるところである。

  • NPO等の活動の実際」

 だが、いかにNPO活動が盛んであったとしても、それが行政代替型NPO、つまりは、行政の下請けNPOであるとしたらアマリ意味がないし、単に行政に反対するだけのNPOも無意味である。求められているのは、アドボカシー型NPOであり、単に反対するだけではなく、政策を提案する能力や、それを実施する能力を有する自立的なNPOなのである。
 具体的に、「植樹」を例に考えてみると、単に「植樹」を行政にかわってやるだけではアマリ意味は無い。「植樹」後の維持・管理をしたり、望みに沿った多様な種類の「植樹」ができたり、「植栽」することによって環境教育をなすこととしたり、当該「植樹」のコストが行政が行うより安くついたり、「植樹」事業が当地のコミュニティ活性化につながったりと、NPO特有のメリットがなければダメなのである。
※市民が建てた公立図書館としての、サンフランシスコ市立中央図書館や低家賃住宅をつくるNPOなどの紹介がありました。こうした事例は、日本においてよくあるような「施設を行政が建てて、そこにNPOを据え置いて運営を下請化するあり方」ではなく、「市民やNPOのほうが主導して決定を行い、行政はその決定に従った市債の発行や予算編成、資金提供などを行うだけというあり方」であるとのこと。
 その他には、ベンチャービジネスのインキュベータとしての役割をNPOとして取り組んでいるところもあり、地域の活性化が経済の活力にもつながるような良質な循環が生まれている事例も数多くみられる。

 また、自治体のあり方も、日本とは全く異なるものである。日本では「地方公共団体」であって、団体としての組織の存在が前提にあるが、紹介する事例では、まさに「自治体」であって、「住民が自ら治めるため必要である」と希望した場合にはじめて組織化される市民団体とされる。それゆえに、自治体そのものが必要ないということもあるのである(アメリカでは約1億人が自治体なしの生活をしているとのこと。)。
 そのような前提があるため、例えば、市議会議員の数も通常は5名程度と少なく、多くの役職(市の局長クラス、教育委員、警察署長など)が公選されるし、誰であっても市議会における発言が保証されている。また、NPOや市民活動をしていた人が行政職員となったり、行政職員体験がある人がNPO活動に従事するようになったり、といった相互関係も築かれている。

  • 「質疑応答」

 途中で、「質疑はありませんか?」という問いかけがありましたので、【情トラ】がちょっと疑問に思っていたことをお伺いしてみました。その疑問とは次のようなこと。

◆「多民族社会であることが、NPO等の活動を活発化させる要因であるとのことですが、そうした活動は、(1)それぞれの民族が、それぞれにNPOを「タテワリ」的に結成して活動するのか、それとも、(2)テーマやミッションに応じて、民族関係なく「横断」的に構成して活動するのか、実体としてはそのどちらなのでしょうか?」

 対するお答えは、「そのいずれもある」とのこと。やはり生活に余裕がないとできないということもあり、ある程度の余裕がある人びとだけの場合が多く、(1)のようにマイノリティごとの連携がないとの問題もある。しかし、「構成員を多様化しなければならない」といったルール/共通理解があるため、(2)のように活動していくための努力もなされている、といった旨のお答えをいただきました。


 講義終了後のその他の質疑応答は、おおよそ次のとおり。

    • 住民投票の位置付けは、その結果に拘束力をもたせるものか?
      • 結果に、実際的な権限を与えるものである。住民投票に際しては、行政から詳細な資料提供がなされ、なぜ、そのような案になったのかについての趣旨説明と、それに対する賛成意見、反対意見が併記されるとのこと。ただし、あまりに詳細であるため、実質上は、新聞等により簡潔に説明された解説がなされ、住民はそれらをもとに判断するとのこと。
    • 市議会において、誰であっても発言が保証されているとのことだが、選挙で選ばれたわけでもない一市民の発言をどう行政にとり入れるのか?
      • 発言がそのまま採用されるわけではない。当然、他の市民からの反論もある。市議会議員の役割は、そうした発言・議論をじっくり聴いて、裁決することにある。この裁決権は議員にだけしか与えられていないものであって、そのことをもって選挙で選ばれた者による判断との正統性があるといえる。なお、やはり議会にドンドン参加して「発言した人が勝ち」という原則があることは事実。やはりマイノリティは、そうした参加がしにくい状況にあるが、それに対して支援していくことも重要である。
    • 日米の違いは、制度の違いというものが大きいのではないか。日本においては、憲法改正、法律改正しないと、結局、NPOなどはうまく活動できないのではないか?
      • 様々な制度があることは確か。イロイロな取組みは参考になると思う。
      • 【情トラ】私見…制度を住民に与えられたものとみるか、住民がつくりあげるものと考えるかで、全く違うように思う。現実的な問題としては、首長の権限には大きなものがあり、どのような方針をもつ首長を選出するかによって、法の範囲内における改善であっても、十分効果的な制度をつくりあげることは可能ではないか。
  • 「グループ討議」

 この後は、8つのグループに分かれて、それぞれ討議。今回は、理事長から次の3点について考えてほしいとのリクエストがありました。

    1. 行政は、なぜ対応できないのか?
    2. 非行政(NPOなど)は、なぜ行政に入り込めないのか?
    3. 日本社会は、なぜ今の仕組みで対応できないのか? どのような社会変革が起きているのか?→日本の新しい社会形態は、どういうものなのか?
  • 「グループ討議報告」

 【情トラ】の属したグループでも、いろんなご意見が出たのですけど、最終的には報告者となった私が次のような報告をさせていただきました。

◆提示された3つの論点に共通するものに、「(1)お金の問題」、「(2)日本においては、行政、会社、NPO、地域社会などといったそれぞれ社会単位が、それぞれで別個独立に存在してしまっているとの問題」があるのではないか。
 「行政は、なぜ対応できないのか?」といわれると、「(1)財政圧迫により、予算・支出を削減せざるを得ないので対応できない」のであって、財政状況が豊かであれば対応できるとも考えられるし、「(2)政策形成のあり方が、(昔ながらの人的関係に基づく)特定の人びとによるものになっているから新たな政策課題に対応できない」のだと考えられる。
 「非行政(NPOなど)は、なぜ行政に入り込めないのか?」についても、「(1)非行政は財政基盤がしっかりとしていないから、行政が担っている仕事を奪い取るところまでできない」のであり、財政基盤さえしっかりすれば行政に負けない仕事ができるとも考えられるし、「(2)特定のわかりあえる人たちだけで、活動を行いたいという気持ちがないともいえず、行政に入り込むと逆に邪魔をされるとして、入り込まない」のだとも考えられる。
 これらをふまえると、「日本の新しい社会形態は、どういうものなのか?」については、「(1)税金が豊潤にあるとはいえない状況を踏まえて、行政はスリム化せざるを得ないし、非行政には特に活動組織立ち上げの際に必要な資金を供給できる仕組みづくりが必要である」し、「(2)それぞれの組織や団体、個々人が、別個独立ではなく、リンクすること、ネットワークをつくることができるような仕組みの構築が必要である」と考えられるところである。


 その他の報告を、そのままにまとめると、おおよそ次のとおり。

    • 6グループ
      1. 行政は平等性が原則であるから。法律の立法意識が、アメリカは「行政を縛るもの」、日本は「行政が使うもの」と考えているから。
      2. 行政に入り込む必要があるのか。
      3. 価値観が多様化していることから、自治分権型に変わる必要がある。お上意識の典型例である水戸黄門も終了の時期を迎えたのではないか。
    • 7グループ
      1. 新しいものへと対応できないから。
      2. 民間企業との兼ね合いや、NPO同士で限られた資源・資金の奪い合いになっているのではないか。
      3. NPOのための銀行設立(例えば、ap bankなど。)や、金持ち企業から税金をとり、NPO資金にまわすといったことが考えられる。
    • 8グループ
      1. 「タテワリ」が原因であって、企画部門と実施部門が分離されているから。
      2. 行政が受け入れてくれないのではないか。NPOは文句を言う人が多いと受け取られ、信頼が低下しているから。 
      3. 自治運営組織を細分化することとが考えられる。その際には、県市会議員は不要となる。または、「ムラ」を復活させ、長老におまかせすることも。
    • 1グループ
      1. 「失敗」を怖れるがゆえである。また「計画→実行」のあとの「チェック」がない。
      2. 意志が弱いからではないか。
      3. 新しい日本を創る。自立をコンセプトとし、行政依存としないこととする(※実際の組閣案も示されました。)。
    • 2グループ
      • お休みされていたようです。
    • 3グループ
      1. 求めるものが多すぎるのではないか。また、既得権益をもつものが阻害している。
      2. 認知度の低さに原因があるのではないか。また、財政基盤の脆弱さも要因と考えられる。
      3. コミュニティ意識の希薄化を防ぐため、住民自身による共生社会建設に意欲を示したものに対して、重点的な予算配分をすることを行うことが考えられる。
    • 4グループ
      1. 「タテワリ」や、首長のアタマがかたいことが原因と考えられる。
      2. 資金面や組織として弱いということが考えられる。
      3. 人と人とのつながりが希薄化していることが感じられる。人と人とのつながりを重視し、小さな自治体をつくることが考えられる。
  • 「講師の感想」

 「NPOは公共サービスのベンチャービジネス」との考え方がある。リスクを覚悟しながらではあるが、新しい分野への取組みを実践して、モデルをつくり、社会全体へと浸透させることに意義があるといえるだろう。
 ただ、「お金がない」との指摘はもっともであって、もっと詳しくいうと「お金をつくりだす方法がない」と言えよう。特に新しく実験的なものを行政は相手にしないし、特にお金が集まらない。そうした新しい取り組みに対しては、財団が果たす役割が大きいのではないか。財団も、企業がお金を出したものもあるし、コミュニティの住民が少しずつ出資し、大きな額となったコミュミティ財団もある。また、アメリカでは小切手が一般に普及しており、簡便な寄付のシステムとして活用されているところも注目に値するのではないか。
 あと、日本人はそうした社会貢献の文化がないからダメだという議論があるが、これには懐疑的である。たとえば、日系人のコミュミティでは非常に盛んにNPO活動等の社会貢献がなされているし、江戸時代の村には自治の仕組みがあったという。困っている人を助けたいという気持ちは何も文化に基づくものではなく、人が有する普遍的なものなのではないか。

  • 【情トラ】まとめ

 社会が画一化すると、柔軟性がなくなって個人個人が窮屈に生活せざるを得ない事態もありうることとなると思います。そうしたなかで、それぞれの関心領域、それぞれの生活背景をもとにした多様なサービスを行う主体が存在すると、社会全体にも自由が生まれ、個人個人の生活も充実することへとつながると考えられます。そうしたことが「NPOと社会変革」というテーマに収斂するのかなぁと思った次第です。
 また、やっぱり、ある程度の余裕がないと、自分の生活だけに精一杯で、社会のことまで考えられないことは事実でしょう。そうしたなかで「地域の活性化が経済の活力にもつながるような良質な循環」が生まれているとの指摘は、私としてはたいへん重要だと思ったところ。
 やっぱり、「思い」だけではなく、そうした循環を生み出すという「実践」が必要だといえるのではないでしょうか、私の現時点での考えですけどね。

 なお、今回は、グループ討議についてもまとめてみたのですが、まとめてみて思ったことは、ホントにいろいろな考え方があるなぁということ(コレはもちろんイイ意味で。)。一人で考えたりしていると、本を読むとしても、自分の考えにあう本を好んで読んだりして、他の考え方まで想像が及ばなかったりするなぁと感じています。
 たとえ、自分の考えと全く違うものであっても、それに対して、自分ならどう対応するかなんて考える機会としての側面がJLCにはあると、私は思っているトコロなのです。