諫早湾干拓事業における権力構造(2005/1/17版)
先日、佐賀地裁が工事差し止めの仮処分に対する国の異議を退けたなどのニュースが報じられました。国は、まだ高裁への抗告も視野に入れているようですので、まだまだ何とも言えないわけなのですが、せっかくの機会ですので、本体サイトにまとめたものに、少しだけ手を加えて、以下に掲載することにしてみます。もし、興味をもたれた方がいらっしゃれば、より詳細なまとめもしていますので、ご参考まで。
◆http://www.geocities.jp/joho_triangle/isahayawan.html
- 諫早湾干拓事業における権力構造(2005/1/17版)
■諫早湾干拓事業における権力構造を探るにあたって、現在の「国営諫早湾干拓事業」の経緯だけではなく、さかのぼってそもそもの計画構想の発端となった1948年から様々な計画が変遷してきた経緯も含めて、大きな転換点ごとに6つに区切り、以下にまとめる。
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- 長崎県南部地域総合開発事業が再び推進された1974年から1976年までにおいては、ある程度生計を立てられるだけの漁業補償金の額を、県を中心とした推進派アクターのほうが「補償金は国の予算の関係上、県が立て替えて3年分割で払う」という方法で用意できたことと、湾内漁民達に将来の生活に対する不安が生じ始めたがゆえに、湾内漁民の同意を得られた。
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- 国営諫早湾干拓事業が推進された1983年から1989年においては、湾外漁民の生計に影響が少ない大きさにまで規模を縮小し、さらには防災という名目のもと地元住民の生活を守るものとして推進されていった。
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- 国営諫早湾干拓事業が進められた1990年から2000年までにおいては、自然保護問題にしても公共事業問題にしても、それが直接的にその反対派アクターの生活の場を奪う性質のものではないために、推進派アクター側が、全国規模にまで広かった事態を沈静化させることに成功した。
■以上のまとめから、『それぞれの事業が、推進されるか、中止されるかの違いをもたらした最も大きな要因とは何か?』という問題設定をしてみるとして、その回答は、『その時々における最大の反対派アクターにとっての反対理由に、その生計を立てる手段に直結した反対理由があるかどうかである』ということになるのではないだろうか。そして、今回の工事差止めの仮処分決定の判断においても、このことこそが、中心的な理由となっているようにも思える(政治や行政における判断と司法による判断は、その基準とするところは異なるのでしょうけど、ね。)。
■そもそも、今回、工事差止めを求めた漁業者らは、湾外漁民の生計に影響が少ない大きさにまで規模を縮小したとの説明(これも詳しく見ると、何ら科学的根拠があったわけではなさそうであるが。詳しくは、◆http://www.geocities.jp/joho_triangle/isahaya/isahayawan23.htmlまで。)があったからこそ、諫早湾干拓事業の着工を認めたわけであって、その説明が現実には誤りだったのではないか、との主張からの差止請求だったと思われる。
■そして、佐賀地裁が出した国営諫早湾干拓事業の工事差し止めの仮処分決定においても、「有明海での漁獲高の減少、特にノリ養殖の減少は、将来の経済生活の面で極めて重大で深刻な影響を与えていると認められる」からこそ、工事差し止めの必要ありとされているとも考えられる。
■しかし、国側は高裁へと抗告するようですし、まだまだ決着は先になりそうです。このまとめの最後に、「◆まとめとして/諫早湾干拓事業における権力構造」の最後に掲げていた次の<一応の結びに>をコピペして再掲しておきます。
< 一応の結びに >
諫早湾干拓事業の現在は、今のところ反対派の大きな動きは影を潜めたといえ、全国ニュースにとりあげられることも少なく、滞りなく完成に向けて推進していくものとも考えられる。
しかし、この先に生活により密着した形での反対派アクターの動きが出てこないとも限らないし、さらには、そういった生計と関係するかしないか、といった基準で事業の進退が決定され続けていくとも断言できない。
また、この論考においては、1998年までの経緯しか扱っていないが、その後の動きにも、たいへん注目すべきものがあるのは明らかである。
これらのことを含めて、また、時間があれば、諫早湾干拓事業の権力構造を探ってみたいと考えています。
■参考としたサイト…http://www.saga-s.co.jp/pub/hodo/isahaya/ / http://www.saga-s.co.jp/