市民裁判員先行記第18回/NHKスペシャル「あなたは人を裁けますか」

 裁判員制度を特集した番組。昨日は、ドラマで裁判員制度についての紹介をしていたようですが、こちらは録画をしただけで、まだ見ておりません。で、本日は、

現役の裁判官への密着ルポや模擬裁判のドキュメントを通して、人を裁くとはどういうことなのか、そして「裁判員制度」が導入された時、どんなことが起きるのかを具体的に検証。(中略)桐蔭横浜大学で行われた模擬裁判は、4年後を想定し、公募で選んだ裁判員とプロの裁判官も参加した本格的な模擬裁判。法律知識のない裁判員は、何に戸惑い、悩んだのか。そしてどんな判決を下したのかを徹底ドキュメントで描く。

とのことでしたので、興味をもって視聴しました。

 とりあえず、いくつか感じたことをメモ書き程度に。

    • 裁判員についてのNHK世論調査 「裁判に参加したいですか?」
      • 絶対にしたくない…23%
      • できればしたくない…41%
      • してもよい…26%
      • 是非したい…5%
    • 思うに、「できればしたくない」との回答が自然な反応なのではないでしょうか。そして、「できればしたくないが、『誰かがやらねばならないことを、“人任せにして私は逃げる”とは言えない』との責任感から、自らのやれることからやることとしたい」と考えるのが、裁判員制度のひとつの本質なのではないかなぁと【情トラ】は思っているトコロ*1です。
    • なお、番組内では、「したくない」人のことばかりを着目していましたが、【情トラ】は逆に「是非したい」という人のほうが、よっぽど問題ではないかと考えるのですけど。どのような理由でもって「是非したい」と回答されているのでしょうか。ひょっとして裁判員の責任というものを認識できていないのではないかと思ったりもしますし、また、このような方が実際に裁判員評議に参加されたときには、自らのお考えばかりを押し付けるような結果につながらないかなどなど思うのですが、全くの見当違いなのでしょうか。。
    • もうひとつ、「したくない」と回答された方の理由として、「興味なし」とされた方が7%。これは、少ないといっていいんでしょうねぇ。興味がなくとも、裁判員は無作為の抽選によって選ばれることから、誰にも避けられないものですし。
    • 番組内でもふれられていましたが、「あなたは人を裁けますか」とのタイトル。これは、やはり重いですよね。実際に裁判員が行うことの主たるところといえば、事件にかかわる行為が、一般の市民感覚からするとどのように評価できるかという「事実の認定」であるはずで、そこから最終的には「刑の量刑」まで行うことにより「人を裁く」ことが存するのでしょうけど。今後、裁判員制度を広報するときには、そのあたりのことは、一応、気をつけておくべきではないかと感じました。

裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(平成16年法律第63号)

 (裁判官及び裁判員の権限)
第6条 第2条第1項の合議体で事件を取り扱う場合において、刑事訴訟法第333条の規定による刑の言渡しの判決、同法第334条の規定による刑の免除の判決若しくは同法第336条の規定による無罪の判決又は少年法(昭和23年法律第168号)第55条の規定による家庭裁判所への移送の決定に係る裁判所の判断(次項第1号及び第2号に掲げるものを除く。)のうち次に掲げるもの(以下「裁判員の関与する判断」という。)は、第2条第1項の合議体の構成員である裁判官(以下「構成裁判官」という。)及び裁判員の合議による。
 (1) 事実の認定
 (2) 法令の適用
 (3) 刑の量定
2 前項に規定する場合において、次に掲げる裁判所の判断は、構成裁判官の合議による。
 (1) 法令の解釈に係る判断
 (2) 訴訟手続に関する判断(少年法第55条の決定を除く。)
 (3) その他裁判員の関与する判断以外の判断
3 裁判員の関与する判断をするための審理は構成裁判官及び裁判員で行い、それ以外の審理は構成裁判官のみで行う。

    • 事実関係が明白な事件などの場合、裁判員が関与する評議は3日間ほどで終わるとのお話。早いのはヨイのかもしれませんが、逆に、すべてを法曹三者事前協議のなかでお膳立てされてしまいそうな気もしてフクザツ。。
    • 最後に、番組とは直接関係ないですけど、以前のエントリから自己引用(一部改変を含む)。

 2009年から開始される裁判員制度は、司法が重要な国家権力のひとつであるにもかかわらず、今まで専門家だけにその役割を任せてきたことが国民主権に反するとの考えから、その導入が決定された制度である。要するに、国民による主体的判断が存在せず、特定の専門家に依存してきただけであった裁判に、専門家ではない一般人も参加して判断の一翼を担い、自らの責任において判断を下させるという制度なのである。
 もちろん、問題点もある。まさに専門知識がないという気後れゆえに、重い量刑判断を避けてしまうことや、そもそも有罪判断を行わないことすらも考えられる。また、逆に、世間の声やマスコミ報道などに過剰に反応して、不当に重い量刑を科してしまうことや、無理やりに有罪判断することも考えられるのである。
 しかし、こうした問題点があるからといって、今までどおりに、専門家である法曹に任せたままでは、法曹同士お互いに個別案件で対立しながらも、ある意味専門家同士という馴れや甘えが生まれ、腐敗の危険が避けられないともいえる。その腐敗の危険を、普通の市民がなかに入ることにより、法曹自身の内的緊張を維持する趣旨を裁判員制度は含んでおり、それゆえに、この裁判員制度の導入は、民主主義の実践に関して歓迎すべきことなのである。
 なお、裁判員は無作為の抽選によって選ばれることから、誰にも避けられないものであるため、すべからく人びとの自覚を促すことへとつながると考えられる。そして、裁判員の判断は、被告人の一生を左右することから、そうした社会が決めたルールに基づく力に、自分もまた荷担しているとの事実を明らかにし、必然的に人びとの責任を問うことになるとも考えられる。そして、そうであるがゆえに、個人一人ひとりが、それぞれ強度のある主体的な判断を行い得るところとなるのではないだろうか。
 ただ専門家に任せきりであれば、何も努力を要さない。たとえば、「裁判官が言ったからそれに同意する」といった態度や、「週刊誌がそのように報道していたから有罪にする」といったことであれば、自らの判断は存在しない。しかし、たいへんなことではあるが、自ら主体的に、情報収集から問題分析、争点理解、意見調整、意思決定、そして、実際の行動と事後確認というように、多くの過程を経るという努力。そうした努力こそが求められているものであり、その積み重ねこそが、「なにか」を少しずつでも「ヨリヨイ」方向へ進めていくことにつながるのではないだろうか。

民主主義とは何か〜選挙の投票について考える - 【情トラ】附゛録゛

  • 追記

 イロイロと検索して、この番組について言及されているエントリを読ませていただきましたっ。数多くあるなかで、次に掲げるものなどが、ある程度まとまったエントリであり、かつ、【情トラ】的にタイヘン参考になったもの(順不同)。不躾ながらも、それぞれにTBさせていただくことといたします*2。お邪魔であれば、削除されて結構ですので。

*1:このあたりは、また、きちんとひとつのエントリにまとめてみる予定です。

*2:なお、私のprofile(?)は、 ■ http://d.hatena.ne.jp/joho_triangle/about まで。