市民裁判員先行記第19回/模擬裁判−裁判員応募/志望動機

 近々、あるところで模擬裁判が行われるそーで、裁判員を公募されていらっしゃるところ。で、次のような志望動機で応募してみようと思っている次第。もし、選ばれれば、その経験は、市民裁判員先行記としてまとめる予定。

  • 志望動機

裁判員制度については、特に一般の市民であれば、「できればしたくない」との反応が自然なものだと思います。しかし、そうした反応にとどまることなく、「できればしたくないが、社会を構成する誰かがやらねばならないことを、“他人任せにして私は逃げる”とは言えない」との思いが、多くの人びとのなかに生まれるきっかけに、裁判員制度がなるのではないかとも考えているところです。
■私自身の裁判員制度に対する思いも、単に一般市民の立場であれば、「是非やりたい」とまでは言えないものです。ナゼって、人の一生を大きく左右する判断を求められることになるのですから。やっぱり躊躇するのが自然な反応であるはずです。
■ただ、私は、今春から、社会人経験を有する未修者として法科大学院に進学する者であり、私が目指す法曹となれた場合には、裁判員制度は現前の事実として存在することとなります。そうした近い将来を見据えると、私自身、今後、様々なことを学ぶにあたっては、裁判員制度の趣旨をしっかりと熟慮したうえで、法曹を目指すことが必要になると考えているところです。
■たとえば、裁判員制度の趣旨には、司法の場に関する情報公開との理念も含むと考えられます。制度自体は、対象を重大事件に限っていますが、そうした理念をふまえると、司法に関わるすべてのサービスに、より「わかりやすさ」が求められることになります。もちろん「わかりやすさ」だけが求められ、「国民の権利・自由の保障」が担保できなければ無意味です。この両者のバランスを適切にとることが、今後の法曹には必要とされるのでしょう。そして、一般市民が司法の場へ主体的に参加することが、それを促進するとの期待もあります。
■今回の模擬裁判では、「裁判員制度は機能するか」として、非常に具体的なところまで射程にした試みだと思います。だからこそ、本音を言えば、その試みへの応募自体も「是非」とまでは言えません。しかし、そうした躊躇する思いを持ちながらも、主体的に参加したいとも強く考えて応募した次第です。
裁判員制度はあくまで手段だと考えます。実現すべきは「わかりやすさ」と「国民の権利・自由の保障」。それらを実現させるための手段に関する課題を、一緒に検討させていただきたいと思います。