市民裁判員先行記第32回/「裁判員制度と市民」@連続市民公開講座『市民社会の法と倫理』

 京都大学大学院法学研究科「21世紀型法秩序形成プログラム」の一環であるトコロの市民公開講座を拝聴しに、ホテルグランヴィア京都に行ってきました。
 その内容はというと、棚瀬孝雄教授の『裁判員制度と市民』及び位田隆一教授『生命科学と法・生命倫理―ひと、いのち、社会』という2つの講演。市民裁判員先行記のエントリですので、どちらかというと前者に惹かれて行ってきたわけで。


※注※ 以下はあくまで【情トラ】の個人的なメモをカンタンにまとめたです。私の理解不足や事実誤認などもあるはずですので、ご注意を。

 盛りだくさんの内容をお話していただきましたけど、そのうち個人的に印象に残ったものをマトメルことに。特に制度運営上の問題として指摘されたなかにあるモノです。

  • 集中審理の実施に対する不安
    • これまでは、月1回の開廷により時間的余裕がうまれることで、被告人側弁護士が、検察官(捜査職員も含む)の組織と対等の準備を行いうる側面があった。しかし、集中審理が実施されるようになると、「審理が急がされる」ことへの弁護側の不安が生じていないとはいえない。
  • 「調書裁判」の弊害除去の期待
    • 直接・口頭主義が基本であるはずの法廷が、これまでは、検面調書をはじめとした調書が中心的役割をになってきた現状があった。しかし、裁判員に対して、それら詳細な調書を読むような時間はないと考えられる。そのため、「調書裁判」がもつ反証が困難であるといった側面は、避けられるようになるものの、実際の公判の場で、目で見て耳で聴いてわかる裁判・尋問の工夫がより一層必要となる。
  • 量刑判断の困難性
    • 極端にいえば、同種の事件であっても、一方は被害者が声を大にして被害を訴え、他方では被害者が何も訴えないという場合において、前者にかかる被告人の量刑が重くなるのではないかという考えがある。これに対して、それでよいのだという意見も、公平な裁判が維持されなければならないという意見も併存すると思われる。
    • また、一方では被告人が無罪を主張し、他方では被告人が犯行事実を認めて謝罪の意を示したときに、前者は「反省していない」との懲罰的意識が生まれることもあるとして、被告人側としては争いにくいとの側面もあると思われる。
  • 裁判員制度のこれからについて
    • 導入が決まったからといって、ゴールがみえてきたわけではない。むしろ、これからが裁判員制度に対する議論を行う第二ラウンドの始まりであって、オープンで活発な国民的議論がなされることを期待する。


 なお、位田教授の『生命科学と法・生命倫理―ひと、いのち、社会』の講演については、レジュメがA4で8枚もあり、これまた盛りだくさんの内容。個人的にはイマイチ明確にわかっていなかった議論でもあり、一市民としてたいへんベンキョーになりました。