45年間の裁判官生活をふりかえって@法科大学院連続講演会第1回

 本日、最高裁判事をつとめられた 金谷利廣 氏のお話を伺う機会がありました。
 まー気さくな方で、「ホントはお酒でも飲みながら、刑事訴訟の議論でもやりたいぐらい。それも学生をあてながら」などと、おっしゃられていたぐらい。お話も面白く、たいへん有意義なものだったのですが、そのなかでも特に印象に残ったものの幾つかをまとめておくことに。
※なお、あくまで、以下は【情トラ】が聴いて個人的に理解した限りでのメモに過ぎません。実際には、おっしゃられなかったことを私が勝手に補ってまとめたところが必ずあるはずです。その旨、必ずご留意くださいますようお願いします。

  • 裁判官生活をふりかえって
    • 裁判官は、精神的に贅沢な仕事である。自分の考えを述べることが権限としてあるのではなく、義務とされている。このことは、気の弱い人間からすると、気楽にモノが言える要因でもある。
    • 年をとってからのほうが法律は面白くなるという意見があったが、ある程度はそうかもしれない。
    • 最高裁での仕事は、しんどかったけど、最もやりがいがあり、面白かった。下級審では自分で全てを調べなければならないが、最高裁では思索に集中できたという側面もある。
  • メッセージとして
    • 自己研鑽こそ基本である。「人から教わり、覚えこんで」ではなく、自分の興味があることでいいから、「自分の足で探して、刺激を受けて、自分で考えること」が必要。
    • 法律問題には、正解がどこか別にあるというものではない。正解は自分の頭でつくりだすものともいえる。
    • 問題に対しては、幅広い大局観と詳細な分析力を、ともに実践することが重要である。


 なお、講演後、若干の質疑応答の時間があり、【情トラ】も次のような質問をさせていただきました。

  • 質問として
    • 裁判員制度の実施なども控えている現在において、裁判所・裁判官からの情報発信といったことに関し、どのようなお考えをお持ちでいらっしゃるか、教えていただければ幸いです。
  • ご回答として
    • 法教育などの観点から、裁判官が小中学校に話に行くという機会も設けたりしており、各地の所長が工夫をされているところである。
    • もちろんご機嫌をとったりする必要はないが、理解をしてもらうことは必要なことである。
    • また、訴訟指揮においても、『荒れる法廷』のように、被告人が、毎回、公判で進行に関係ない発言を続けた場合、その被告人は意図的にしていることだし、裁判官としても毎回のことだとして、退廷命令をするのは簡単なことである。 しかし、その時初めて傍聴した市民からすればどうか。 裁判官が自分だけ判って進行したとしても、周りの支持は得られないし、ある関係では互いに了解があったとしても、その関係外からみたときには理解を得られないこともある。 他の視点からみたときにも納得を得られるように、ということを心がけなければならないと思う。

 このお答えには、私自身も同じようなことを漠然と考えていたわけで。
 たとえば、特定の関係者間だけで調整が完結しないように、多様な視点から検証する機会を確保する手続(となりうるもの)のひとつがパブリックコメント制度だと思っているわけでして。そして、その結果、多くの納得を得ることを達成できうるのではないかと考え、それにボチボチと取り組んでいるわけなのでして。
 「特定の視点だけからではなく、多様な視点からみて、できるだけの納得を得られるように」ということを、具体的な例も含めて、分かりやすくお教えいただけたなーと個人的に「納得」した次第。いやー、ありがとうございました。