市民裁判員先行記第43回/「その時 裁判員として」@同志社大学寒梅館

 「その時 裁判員として <プロの俳優陣によるオリジナル法廷劇>」(主催:同志社大学法学部)を観劇してきました。
 開始時刻に間に合わないと思ったりもしたのですが,何とか遅れることなく会場である寒梅館ハーディーホールに,到着。1000人ほど収容可能な会場内は,既に席のほとんどが埋まっていましたが,たまたま空いていた前から2番目の座席を案内され,着席。いい感じで,90分ほどの舞台を堪能することができました。


 今回の法廷劇の内容は,というと,まず,事件の概要は,次のとおり。

 被告人Kは,平成18年9月26日午前0時ころ,助手席に友人Oを乗せ,普通乗用自動車で京都市上京区寺町通りを丸太町方面に向けて走行していた。
 寺町今出川の交差点に差しかかったとき,前方の信号が赤色であったにもかかわらず,折から同交差点入口の横断歩道上を青色信号に従い自転車で横断中のFに自車全部を衝突させて跳ね飛ばし,死亡させた。


 そして,事件の争点は,次のとおり。

 被告人Kの運転は,刑法208条の2第2項後段の「赤色信号を殊更に無視し」に該当するか。
 もし,被告人が事故現場の赤色信号に気づいたのが,衝突地点の55メートル手前(停止可能地点)であったとして,意図的に赤色信号を無視したことが認められると,危険運転致死罪が成立し,1年以上20年以下の有期懲役となる。
 対して,被告人が事故現場の赤色信号に気づいたのが,衝突地点の23メートル手前(停止不可能地点)であったとして,意図的に赤色信号を無視したのではなく,運転中によそ見をして赤色信号に気づくのが遅れたために間に合わず,被害者を跳ね飛ばして死亡させたということが認定されると,業務上過失致死罪が成立し,5年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金となる。


 この争点は,公判前整理手続によって明らかされたとの説明のうえで,舞台上では,この争点をめぐり,公判において,冒頭手続,冒頭陳述,証人尋問,被告人質問,遺族による意見陳述,検察官の論告・求刑,弁護人の最終弁論・被告人の最終陳述等が行われ,それらを踏まえ,評議の場において,裁判官及び裁判員が議論し,最終的な結論を導き出すという筋書きになっていました(が,その詳細については触れないこととします。なお,本法廷劇のデータがなくもない*1ので,もし,関心がある方は,その旨メール等でお知らせください。)。


 以下は,あくまで私限りの感想でしかありませんが。
 わかりやすく争点をしぼり,実際の公判における手続等をふまえ,評議のひとつの在り様を描き出した今回の法廷劇上演は,その「法学部で学ぶ学生さんに,ぜひとも裁判員制度について深く学び,理解してもらいたい」という目的を達成していたのではないか,と感じた次第。
 また,裁判員制度について学ぶにあたって,必要となる基本的知識の説明や,注意すべき事項の指摘も,十二分になされていたのではないか,とも感じた次第。次に掲げるような言及もあって,ほぉほぉ,なるほど,なんて思ったりなんかしたりして。

  • 裁判官の世界では,「乗り降り自由」という言葉があり,一度,表明した意見に縛られることなく,互いに議論するなかで自らの意見を変えたとしても,それは全く恥ずべきことではないということを意味する。むしろ,ひとつの意見に執着して,予断や偏見から冷静な判断が失われることのほうが問題であり,相手の意見に耳を傾け,その意見に納得したならば,素直に改める気持ちを持つことのほうが大切である。

 そして,評議によって最終的に得られた結論が,全員一致とはならなかったものの,それは,少数意見者が最後まで強固に反対したからでもなく,逆に,安易に多数意見に従ったからでもなく,その結論に到達するまでの過程において,実りある評議が行われたからこその結果であったことは,非常に納得がいくものでありました。


 もっとも,事実認定については,個人的に大きな疑問が。本舞台を観劇した方々にしかわからないかもしれませんが,衝突地点の55メートル手前は,ちょうど(緩やかではあるが)カーブが終わった地点であることから,「55メートル手前よりも,もっと手前で赤信号を認識できたはずである」との事実認定は,おかしいのではないか,という疑問です。
 また,そのような事実認定をすることは,公判前整理手続によって明らかにされた争点,すなわち,被告人が事故現場の赤色信号に気づいたのが,「衝突地点の55メートル手前(停止可能地点)」であったのか,「衝突地点の23メートル手前(停止不可能地点)」であったのか,という争点を完全に無視しているのではないか,とも思いますし,それは,被告人にとって不意打ちとなる事実認定ではないか,とも考えられなくもないではないか,とも。

 とはいえ,90分という決して長いとはいえない時間のなかで纏められた本法廷劇は,多少はベタやなーと感じるところもないわけではありませんでしたが,充実した内容であったことには,違いはなかろうと思います。
 そのほか,いざ裁判員制度が始まったときには,弁護人又は検察官は,あたかも「プロの俳優」のような声量,滑舌,アピール等によって,証人尋問等を行われなければならないといえることから,本法廷劇は,まさに「プロの俳優陣による」ものなので,非常に参考になりうるのではないか,とさえ感じたりも(ただし,あまりに上手な尋問がなされると,「言いくるめた」といった心証を抱きかねない虞もありそう,とも思ったりも。)。


 なお,本日の観客のほとんどは,レポート提出を課せられた同志社大学法学部の学生さんであった模様。それぞれどのようなレポートを書くのか興味深いところではありますが,私のレポートは,この程度ということで,提出(公開)することといたしやす。


【参考として】

*1:婉曲的表現