地方自治体の長の多選禁止の法制化について

 某履修科目において作成したレポートを公開。「できるだけ自己の見解を述べるよう」求められた課題ということもあり,まさに「自己の見解」を述べている内容であり,議論が粗雑な部分もあることは重々承知のうえ,あくまでひとつのレポートとして,ご参考まで。

  • 1 地方自治体の長の多選禁止の法制化とは

 地方自治体の長(以下「首長」という。)の多選問題は,少なくない数の首長が,その禁止の必要性を訴えてきたこと等により,国会をも含めて法制化・条例化の議論が活発化している。しかし,この議論に関しては,「多選は制限されるべき」との価値判断ないし政治的立場からの一方的な主張に基づくものではないか,また,「新たな制度として多選禁止を導入する」との視点しか存在していないのではないか,という疑問を感じないではない。
 この2つの疑問のうち,前者は,住民の直接選挙により選出される首長のあり方の問題であるにも関わらず,そこに「住民主体の視点」があるのかどうか私にとっては明らかでないからこそ感じているものであり,後者は,「既存の制度を十二分に活用する」ことも検討されるべきではないかと私が考えているからこそ感じているものである。
 そこで,以下は,これらの疑問をふまえつつ,多選禁止法制化について検討を加える。

  • 2 地方自治体の長の多選禁止にかかわる立法事実について

 一般に,首長の多選禁止を法制化すべきとする立場からは,次のような多選による弊害が立法事実として存在すると指摘される。すなわち,(1)首長は予算の編成・執行,人事など大きな権限を持つので,長期にわたって政策が偏ったり,財源の効率的使用が阻害される等の可能性が高い,(2)首長が独善的になり,職員の意見・批判等を聴かなくなる,(3)首長と議会との間に緊張関係を欠いた関係が生じる,といった弊害である。
 確かに,これらの弊害は全くありえないと否定することはできない。しかし,これらが多選ゆえに生じている弊害かといえば,それを肯定することもできない。たとえば,(1)や(2)は,その首長個々人の政策や資質に左右されうる問題でもあるし,特に(1)については,逆に多選を禁止したほうが,次の選挙で当選するために抑制的な財政運営をするとの規律が効かなくなるおそれがある。また,(3)も,選挙時にいわゆる相乗り候補として推された首長であれば,一期目から生じうる問題であろう。
 このように,多選禁止の立法事実として主張されるところの弊害が,多選ゆえにだけ生じるとはいえないならば,当該立法事実には十分な合理性はないということができる。

  • 3 地方自治体の長の多選禁止にかかわる憲法上の問題点について

 また,首長の多選禁止には,次のような憲法の規定に関連した問題点が考えられる。すなわち,国民の公務員選定罷免権,被選挙権の自由,立候補の自由(以上,憲法15条),職業選択の自由憲法22条),そして,平等原則(憲法14条)などといった点である。このうち,被選挙権又は立候補の自由は,憲法上は特に明記するところはないが,最高裁判決は,「立候補の自由は,選挙権の自由な行使と表裏の関係にあり,自由かつ公正な選挙を維持するうえで,きわめて重要である」から,立候補の自由も憲法15条1項の「保障する重要な基本的人権の一つと解すべき」と述べている(最大判昭和43年12月4日*1刑集22巻13号1425頁)。
 ただし,この考えに対し,多選が選挙の実質的な競争性を損わせていることこそが問題であって,既に選挙犯罪者等の被選挙権の制限,公務員の立候補制限が定められていることを鑑みると,多選禁止は,選挙の競争性を確保し,政策選択の幅を広げる手法の一つであるとの合理性を有するから,必ずしも法律で多選を禁止することは不可能ではないと主張されているところである(「首長の多選問題に関する調査研究会報告書」*28頁)。
 もっとも,この主張に対しては,次のように反論できるのではないか。すなわち,上記最高裁判決が述べるように,「選挙に立候補しようとする者がその立候補について不当に制約を受けるようなことがあれば,そのことは,ひいては,選挙人の自由な意思の表明を阻害することになる」との問題は,特に首長の選挙においては,単に競争性の確保の観点から考慮するだけでは十分ではない,との反論である。
 これを詳細にいうと,住民自治をひとつの要素とする地方自治の本旨憲法92条)に基づき,住民による直接選挙権(憲法93条)が保障され,住民による直接的な解職請求(地方自治法81条以下)が認められている首長に関する選挙には,そうした解職請求が認められていない国会議員の選挙等と異なり,現職首長に対する信任又は不信任の意思の表明の機会という趣旨も含まれているとの反論が考えられるのではないか,ということになる。たとえば,小規模自治体で,首長の適任者に乏しいところも現実としてありうることからすると,そもそも競争性が確保できないこともあり,その場合,信任投票的な意味合いが深まることもあるだろう。
 仮に,このように考えられるならば,首長選挙における現職候補の立候補には,選挙犯罪者等の被選挙権の制限や公務員等の立候補制限とは異なる特別の意味が加えられることになる。そして,多選禁止は,まさに憲法上保障される住民による信任又は不信任の意思の表明を阻害することになるから,当然ながら認められないことになるのである。
 このほか,たとえ多選を禁止しても,禅譲といわれるような後継者の選出が行われ,競争性が阻害される可能性はなくならないとの反論も考えられる。さらには,自治体政策においては,昨今から住民参画・協働といったキーワードが盛んに唱えられているように,何も選挙時だけが住民による政策選択の機会ではない。よって,多選禁止により侵害される利益に比べ,政策選択の幅を広げるとの利益は,あまり大きな意味を持ちえないとの反論も考えられよう。

  • 4 弊害除去のための具体的検討−「地方自治法81条の要件緩和」の提案

 以上のように,多選禁止の立法事実には十分な合理性はなく,多選禁止自体に憲法上の問題がありうるということができる。それでは,この多選禁止という方法のほかに,強大な権力を持つ首長に生じうる弊害を除去するための制度は考えられないか。
 このことに関して,地方自治の本旨に適う「住民主体の視点」から,「既存の制度を十二分に活用する」ような制度が考えられるところである。具体的には,「地方自治法81条に掲げられた要件の緩和」という方策であって,住民が首長を解職する権限を選挙という機会以外においても,より実効的に活用するためとの考えに基づく制度である。
 現在,地方自治法81条は,住民による首長の解職請求につき定めているが,現実には,いかに弊害が認められるようになった首長であれ,住民が「その総数の3分の1以上の者の連署」を集めることは相当に困難だといえる。しかし,この「総数の3分の1」という要件を緩和するとしたらどうか。たとえば,この要件を「5分の1」なり,多選という定義に該当する首長に対しては「10分の1」なりに緩和するだけで,連署が集まる可能性が格段に高まるはずである。そして,その可能性の高まりは,首長に対してより一層の緊張感を持たせる効果があり,首長に生じうる弊害を除去するための民主的統制の一手法となりうるのではないだろうか。 
 とはいえ,このような民主的統制が,常に行使されなければならないというわけではない。こうした手続又は権限が,住民に保障されていることこそが肝要なのであり,そのことによって,多大な権限を持つ首長に対する住民からの批判をより実効的にし,適正かつ公平な行政運営が図られることになればよいし,住民がより能動的・主体的に活動できるきっかけともなればよいのではないだろうか。
 なお,この民主的統制という考えに関し,「人民に依存しているということが,政府に対する第一の制御になっていることは疑いをいれない。しかし,経験が人類に教えるところに従えば,やはりこれ以外に補助的な、警戒的な措置が必要」との言葉を引いて,「権力の立憲主義的な統制が民主的統制により完全には代替し得ない重要な手法である」との主張がある(前掲報告書7頁)。
 しかし,そもそも従来から現状までにおいて,「住民自治」が充実・成熟したものと認められていなかったからこそ,地方分権改革等が,その拡充を目的としているのではないか。このような状況下で,民主的統制の可能性を試そうとはしないまま権力の立憲主義的な統制を加えようとする議論には,ある意味,原則・例外(第一の制御・補助的な措置)が逆転しているという印象を受けざるをえない。

  • 5 多選禁止が憲法上可能である場合,それを独自に条例で定めることの可否

 ところで,首長の多選禁止が仮に憲法上可能であるとして,その場合に,それを地方自治体が独自に条例で定めることは可能か。このことについては,首長の多選禁止は,首長がどの程度の期間在任できるかとの在任期間の制限であり,いわば地方公共団体の組織及び運営に関する基本的な事項であることを前提として考える必要がある。
 そうすると,そうした基本的事項に関しては民主的正統性が確保されるべきなので,多元的な見解を統合し,公開性に優れるとの機能を備えた唯一の立法機関たる国会(憲法41条)において審議し決定しなければならない事項,要するに,法律の所管事項であると考えられる(国会中心立法の原則)。したがって,首長の多選禁止を制度化する場合には,法律にその根拠を置くことが憲法上必要であり,そうした法律上の根拠もなく,独自に条例で定めることはできないと思われる。

  • 6 法的な拘束力のない多選自粛条例を制定することの評価

 また,いわゆる多選自粛条例を制定することについては,どのような内容であれ,「努力規定しか定めない条例」は,本当に条例として制定すべきものなのであろうか,との疑問をなしとしない。つまり,多選自粛に関しては,首長が主体となって,議会又は住民に対し,「連続して○期を超えて在任しないよう努めるものとする」旨を宣言するような条例を制定せずとも,同内容につき,首長と住民が「公約(=マニフェスト)」として合意すれば,それで足りるはずである。
 もっとも,これと異なり,議会が主体となって,首長に対し,多選の定義に該当する者が首長になった場合には,議会の権限である不信任議決(地方自治法178条)を行う旨を定めた条例を制定することはどうか。あるいは,住民が主体となって,首長に対し,多選の定義に該当する者が首長になった場合には,直接請求により解職請求(同法81条以下)を行う旨を定めた条例を制定することはどうか。
 もちろん,後者は,特に選挙において首長が多選された結果といわば自己矛盾が生じることになるので問題となるし,このことは前者であれ,首長が多選された民意と議会の議決が矛盾することになるので問題とならないわけではない。しかし,そうした問題はあるにせよ,また,いずれの場合も議決又は請求を行うか否かにつき法的な拘束力はないと考えられるにせよ,議会又は住民が,それぞれ保有する不信任議決権限又は解職請求権限を背景に,首長に対し,多選を自粛することを求める旨を定めた条例ならば,一定の意味を持つ条例になるものと考えられる。つまり,議会又は住民が主体となり,「住民主体の視点」から「既存の制度を十二分に活用する」ことを考え,首長に対し,多選自粛を求める条例を制定することは,たとえ法的拘束力はないとしても(,又は,事実上の拘束力しかないとしても),首長に対し,適切な緊張感をもたらすための民主的統制の有益な一手法と評価することが可能ではないだろうか。