レオニーの選択/ブルクハルト・ヴェーナー/書評第1回

  レオニーの選択―18歳少女の“政治”への旅立ち レオニーの選択―18歳少女の“政治”への旅立ち/ブルクハルト・ヴェーナー
 ドイツが舞台で、五百ページ弱の分厚さの本ですが、その内容はミステリィ風の物語に仕立てられており、たいへんリーダビリティの高い訳書です。 「民主主義についてのきみの問いかけに、わたしがちゃんと答えられるかどうかはわからない。」との一行から始まる、ある政治家ESからの民主主義政治に関する長く広く深い手紙を、あたかも自分への語りかけのように感じ、主人公である熱血肌の政治家志望少女レオニーの言動や行動に、共感または違和感を覚えながら、物語に引き込まれていく人が多いのではないかと思います。
 ESは、手紙の中で言います。 「ルイ十四世の有名な『朕は国家なり』というセリフは、民主主義の正反対の表現として、これくらいぴったりなものはない。 では、現在の議会制民主主義はどうだろう? これは『あなたたちが国家だ』と有権者が政党や政党の候補者に向かって投げかけるものである」と。 ならば、その政党や政治家は、市民に対して何を提供しているのでしょうか。 これにESは、「一部のために特定の利益を守る『利益の保護』、全員のために環境問題等に取り組む『問題の解決』、そして、娯楽やイデオロギーといった『感情に訴えかけるもの』を提供している」と言います。 そして、「選挙戦をはじめとする競い合いの場面では、政治家はひたすら感情頼みになってしまう。それは、政治の仕事が複雑になりすぎたからであって、政治家は、問題解決のための取組みを市民にわかりやすく説明することはほとんど不可能として、自分で演出できる感情の分野に目を逸らさせるのだ」と言うのです (何となく誰かを想像したりしませんか!?)。
 確かに、娯楽の要素もなく、イデオロギー対立もない、問題解決に的を絞った政治は、地味かつ難解、故に退屈かもしれません。 しかし、問題から目を逸らすことなく議論して、キチンと問題が処理されていくことになれば、もっとワクワクしておもしろいとも思うかもしれません。 大事なことは、そのようにワクワクするために、私たちは、政治家や官僚にお任せではなく、専門知識はなくても問題解決への取組みに対する適切な批評眼をもった参加者となることが必要ということなのでしょう。
 この他にも、豊かな示唆を含んだ議論が展開される本書ですが、新たな民主主義を編み出すための明確な答えは示されません。 私は、その一つに「地方政治」があると考えています。 国家と比べて規模が小さな市町村では、市民の理解が届くような見通しのきく問題が多く、市民の意思を直接尋ねる「アテナイ式」の政治も可能とされます。 この「アテナイ式」政治を、現在において工夫しながら実践することこそは、より力強い批評眼と問題処理に参加するワクワク感を育てる方法の1つなのではないでしょうか。
 最後に私からみなさんへ一言。 「ESからの手紙を受け取ってみませんか?」