現代民主主義のゆくえ−ヨーロッパから考える−

 関西大学法学研究所第34回シンポジウムに参加してきました。有意義なお話を聴くことができました。
(※以下は、あくまで【情トラ】の個人的なメモです。事実誤認があるかもしれません。また、記述量に差がありますが、個人的な興味の偏りによるものです。)

  • 報告者 アンヌ・ミュクセル氏 Anne Muxel(パリ国立政治学院フランス政治研究所教授)
    • 題目「ヨーロッパ諸国における棄権の増大―どんな民主主義へ」

■ヨーロッパの民主主義の健康状態については、投票棄権者の増加が問題視されている。例えば、今年の欧州議会議員選挙では43%の投票率しかなく、18歳から24歳までの若年層においては3分の2が棄権しているとのこと。フランスにおいては、70年代と90年代を比較してみると、大統領選挙で5.5%、国民議会選挙で13.4%、欧州議会選挙では17.7%の棄権率の向上がみられる。こうした投票率の低下の傾向は、ヨーロッパ各国共通のものである。
■従来からは、女性や若年、低学歴などが低い投票率の理由として挙げられたが、教育水準は高まり、中流階級も増加している現在では、それらの従来の説明では説明にならなくなっている。
■現在においては、投票率の低下の理由としては、政党離れ、取捨選択の難しさ、政治家への信用のおけなさ、制度上の複雑さ、争点に明確性のなさが挙げられるのである。また、イデオロギー対立が崩壊したことが、ひとつひとつの争点に関するコンセンサス(合意)形成の時代を迎えている。そうした流れに政党が適応をはかることによって、それぞれの違いがあまり見えなくっていることも、代表制民主主義に対して有権者が疑義を持つ要因となったと考えられるのだ。
■そこで今日では、なぜ選挙に行かないのかという問いに対して、投票に意味を見出し難くなっていることが大きな要因になっているのではないかと考えられてる。そして、棄権によって何らかの意思表示をしようと、戦略的に有権者がふるまっているのではないかとも考えられるところなのである。このように考えると、棄権とは、新たな民主主義の態度表明であるともいうことができよう。
■このように、現代において、民主主義の危機ではなく、新たな民主主義、市民権のモデルが登場したと考えられる根拠のひとつとして、政治への関心自体は、そんなに失っていないことが指摘できる。具体的には、特に18歳から24歳までの若者層においては、その68%がいわゆるデモの必要性を重視しているとの調査結果があるという。つまり、意味が見出し難い投票の有効性の懐疑と、より参加している意識が得られる抗議行動や署名活動、デモといった市民の直接参加への機運の高まりが相まって、政治に関心はあるものの投票には行かず、逆に棄権することによって自己主張しようという者が現れたと考えられるのである。
■以上をふまえると、投票棄権者には2つのタイプが存在するといえる。一方は、ゲームの外側にいる者。これは、政治意識が後退しており、無力感を有して現代社会に対する拒絶意識をもつ者である。他方は、ゲームの内側にいる者。これは、若く学歴があり、社会適応もある。そのうえ政党支持すらあるが、流動的であり、政策のチェックも怠らないが、それゆえに政策に不信感をもつときには投票に行かないという考えをもつ者である。このうち後者こそが、棄権することを正当な権利として行使している有権者だといえるのである。
■現在は棄権者のうち、3分の2が内側にいる者、つまり何らかの形で選挙に関与するタイプである(たとえ、それが棄権だとしても。)。恒常的な棄権者は、棄権者全体のうち23%にしかすぎない。それゆえに民主主義の危機とまでは考えられない。いかに代表制民主主義(=選挙、投票)と参加型民主主義(=デモ、署名活動)とのコンビネーションを図っていくかが、今後の課題となるのではないか。

■ここ10年〜15年、ヨーロッパにおいては、いわゆる大衆政党、極右が躍進している。各国の政党ごとに多様な特徴をもつものの、封建的秩序を求めるところに共通性がある。
■このような極右の躍進は、人びとの不安感が原因となっていると考えられるが、具体的には「富の再分配の行き詰まり」と「グローバリズムへの対抗」といった状況に対する唯一の受け皿が極右となっていることが指摘できる。

  • 【情トラ】まとめ

 投票棄権者に2つのタイプがあり、政治の内側にいる限り(=政治的関心をもっている限り)は、政治の活性化につながるだろうという議論は、たいへん興味深く感じた次第。日本においても、その議論があてはまるかどうかは検討の余地があると思いますが、少なくともデモや抗議行動といった参加型民主主義への取組みの高まりの可能性はなくはないといえるのかもしれません。

 ただ、デモっていっても、一般的には参加しないのではないか、とも。外国では何万人の単位で参加するものもあるようですが、日本においては、東京で何千人集まる規模しかないのではとの個人的な印象があります。

 この印象は、デモいうと、どうしても既存の団体による「動員」を思い浮かべてしまうことも大きな原因なのかもしれません。しかし、たとえば、災害時のボランティア活動などといったものを想像すると、新たな参加型民主主義のあり方が見えてくるのかもしれませんが。