科学的合理性と社会的合理性【京都】

【問1】
■真理境界(科学者の妥当性境界)と責任境界(公共の妥当性境界)は、従来は前者が既に固まったところで、後者が議論されることが多かったので、両者は一致するものと信じられてきた時代があった。しかし、現在においては、この両者は一致するものではない。なぜなら、真理境界は、科学者の多くが彼らのジャーナル共同体が求める知識の精確さを目的としていることに対して、責任境界は、科学的根拠に不確実性があるときであっても公共的問題の解決を目的とする性質をもつからである。それゆえに、責任境界では問題解決に資するならば、場合によっては真理境界より緩い、または、厳しい基準が用いられることになるのである。
■そして、このことは、換言すると、責任境界を決定する際の基準が、真理境界を決定する際の基準と全く異なるということであり、その基準の決定に社会的合理性を根拠にするとして、それを何によって担保するのかということが問われることになる。


【問2】
■科学的合理性は、専門知を有する科学者集団がもつレフェリーシステムが形成する科学者の妥当性境界によって保証されるものである。それに対して、社会的合理性は、従来は科学的合理性により保証されるものとされてきたが、現在では、科学者の妥当性境界は公共の妥当性境界と一致しなくなったため、科学的合理性では担保できなくなった。
■それでは、社会的合理性を何によって担保するのかを考えた場合、専門知を有する法律家集団によるレフェリーシステムの構築が、ひとつの方策として考え得るところである。しかし、この法律家のレフェリーシステムも、一歩間違えれば、科学者集団におけるジャーナル共同体への忠誠と同じように、その専門家集団内での評価のみを追及することにもなりかねない。その場合は、市民が求めるものと離れることになって、肝心の公共的問題の解決に資する目的が達成できなくなる。
■そもそも、公共的問題の解決のためには、市民の多様な意見を反映させることが必要とされる。そのため、必要な情報の開示や議論過程の透明性の確保等を制度化することが求められるのである。ここにおいて、法はそれらの制度を権威づける役割を果たし、法律家はその権威を権威足らしめるために、一般市民に法を守るときや法を使うときのマナーを教えるといった役割を果たすと考えられる。
■具体的には、法はその性質上、国家権力を背景とした強制力をもっており、その強制力をもとに必要な情報開示制度等を担保することが求められよう。そして、法律家は、それらの制度を実質的に機能させ、その正当性を証明する役割を果たすことが求められると考えられるのだ。
■このことをふまえると、法律家集団によるレフェリーシステムの構築も、その仕方によっては可能であると考えられる。なぜなら、完全に専門知に基づく科学的問題と違って、社会的問題は、市民の普段の生活に基づく判断により解決され得るものだからである。そのため、法律家集団とともに、市民が判断を行うことも可能なのである。そして、このレフェリーシステムには、たとえば、近く施行される裁判員制度のように、法による制度化が必要になるし、法律家によるその制度の実質的な運用も求められるところである。
公共のための科学技術 公共のための科学技術/藤垣裕子「科学的合理性と社会的合理性−妥当性境界」